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「ミヤモトのモト!」5周年記念という事で実施したイラスト企画です。
幕末好きの艦これユーザーなら誰でも考えるであろう(?)「幕末艦を艦これ風にしたらどうなるか?」をやってみました。
今回は長州藩から6隻をピックアップ。
ただの個人的趣味のお遊びなので、にわか知識の上、考証もユルユルです。あまり解説は鵜呑みにしないでね(笑)
ていうか、そもそも資料が少なすぎる・・・!そしてその資料も物によって内容が微妙に違う・・・!
あくまで概念的な擬人化なので、大砲どうやって撃つんだとか、そもそもサイズ比がおかしいとか、細けぇこたぁいいんだよ!
・・・という訳で、本編は↓下のリンクからどうぞ!
>>いざ!暁の関門海峡に、勝利を刻みましょう!!<<
■艦娘紹介
■丙辰丸【へいしんまる】
長州藩が初めて建造した洋式軍艦。安政3年(1856)起工。木製帆船で、全長約25メートル。
万延元年(1860)、艦長・松島剛蔵のもと、江戸への遠洋航海が行われる。
高杉晋作も乗船しており、数か月日記に記している。
江戸では長州藩士と水戸藩士の交流があり、丙辰丸の船内で「成破の盟約(丙辰丸盟約)」が交わされた。
その後は、第二次長州征伐や戊辰戦争に参加。維新後の明治3年(1870)、商人に貸し渡された。
<宮本コメント>
そもそもは丙辰丸を擬人化して、帆を模した縞々ビキニを着せたかった・・・!(笑)
実際調べてみると、小さい船だったのでロリっ娘になっちゃいましたがw
長州藩の船名が干支なのは地味だなーと思っていたんですが、擬人化は非常にやりやすかったですw
■庚申丸【こうしんまる】
長州藩が丙辰丸の次に建造した洋式軍艦。万延元年(1860)進水。
木製帆船で、全長約25メートル(あるいは35メートル)、30斤砲6門を備えていた。
文久3年(1863)、関門海峡にて攘夷戦を始めるが、アメリカ軍艦に砲撃され沈没。
その後引き揚げて修復され、第二次長州征伐で幕府軍と戦った。
維新後の明治2、3年頃どこかに売却されたらしい。
<宮本コメント>
丙辰丸よりはデカいが、他の船と比べるとそうでもないので、頭身のイメージが掴みにくい。
つーか、何で全長に諸説あるんだよ・・・
大和撫子じゃなくて長門撫子・・・わかりにくい・・・
■壬戌丸【じんじゅつまる】
文久2年(1862)、横浜にて購入したイギリス製の蒸気船。購入は井上馨らが担当した。
原名「ランスフィールド」。鉄張製で、全長約70メートル。
当時の長州藩では最大の軍艦で、唯一の蒸気船だったが、運送船として利用され、備砲は小砲2門だった。
文久3年(1863)の攘夷戦で、アメリカ軍艦に砲撃され沈没。その後引き揚げられる。
慶応元年(1865)、武器購入のため、藩命で上海に密航した大村益次郎によりアメリカ商人に売却される。
この事は幕府に知られ、第二次長州征伐の理由の1つになる。
<宮本コメント>
せっかく大きな蒸気船だったのに、あまり活躍できず残念。
操船技術を習うのに、攘夷にも関わらず外国人を雇うかどうかでモメたらしい。
ありがとう壬戌丸!君の事は忘れないよ!(多分)
■癸亥丸【きがいまる】
文久3年(1863)、横浜にて購入したイギリス製の木製帆船。原名「ランリック」。
全長約34メートル。18斤砲2門、9斤砲8門を備えていた。
同年の攘夷戦で、アメリカ軍艦に砲撃され大破するが、その後修復され、第二次長州征伐で戦った。
維新後の明治2年(1869)、新潟港にて北風のため船体が土砂に埋まり、破船。
<宮本コメント>
10門の大砲をどう体に付けるかでかなり悩んだw描いてる途中ちくわに見えてしょうがなかったw
結局、本家艦娘の様に背中に背負うのが一番楽なんだと実感・・・
■乙丑丸【いっちゅうまる】
慶応元年(1865)、長崎にて購入したイギリス製の蒸気船。原名「ユニオン」。木製(鉄も混合?)で、全長約46メートル。
長州藩が資金を出し、薩摩藩名義で購入したため、薩摩では「桜島丸」と名付けられた。
取り決めにより亀山社中が操船したが、船の所有を巡り色々揉め、後に長州藩所有に。
第二次長州征伐では、社中が乗り込み幕府相手に活躍。この時、坂本龍馬も乗っていたらしい??
維新後の明治4年(1871)、商人に売却された。
<宮本コメント>
「ユニオン号」と言えば聞き覚えのある方も多いでしょう。龍馬絡みで良く出てきますね。
牛なのでボイン。え?当時日本に乳牛は居ない?イギリス生まれだからセーフセーフ!(えっ)
イギリスのメイドさん風にしてみましたが、エプロンの島津家家紋が文字で隠れてますねw
■丙寅丸【へいいんまる】
慶応2年(1866)、高杉晋作が長崎にて独断で購入したイギリス製の蒸気船。
原名「オテントサマ(オテントー)」。鉄張製で、全長約37メートル。
アームストロング砲を備えていたらしい。
第二次長州征伐では高杉が乗り込み、幕府艦に奇襲を仕掛けるなど大活躍。
維新後は、貨客船「オテント丸」として利用された。
<宮本コメント>
第二次長州征伐では、乙丑丸と並ぶ花形!
原名は「お天道様」と、何だかのどかなのに、戦闘能力は結構高い。
戦ってる時は白虎モードにしようかとも考えましたが、まぁどうでもいいやw
ボクっ娘なのは高杉の影響です。(笑)
※船の仕様は、主に時山弥八・編「稿本もりのしげり」、古川薫・著「幕末長州藩の攘夷戦争」付録「赤間関海戦紀事」を参考にしました。
■艦娘と攘夷戦
文久3年(1863)、攘夷期限が5月10日と決まり、その日から攘夷を行うよう、幕府から全国に命が下った。
勿論、幕府としては建前だった・・・が、長州藩はヤル気満々!関門海峡を通る外国船をのべ3隻、海岸の砲台や軍艦から砲撃した。
ところが、そんなヒャッハーもいつまでも続かなかった。6月1日、アメリカ軍艦ワイオミング号が報復攻撃にやってきたのだ!!
この時、現場にいたのは庚申・壬戌・癸亥。必死に応戦するが・・・・・・
その結果がこれだよ!!
たった軍艦1隻に、長州は庚申丸・壬戌丸を沈没させられ、癸亥丸を大破させられてしまった!!
この時点で、残る軍艦は小さな丙辰丸のみ・・・。もう後は、海岸の砲台で戦うしかない。
そんな状態の中、4日後には今度はフランス軍艦2隻が報復のため来襲、挙句の果てには敵兵に上陸され、村を焼かれてしまうのだった・・・
しかし、長州藩の自業自得・・・じゃなかった、苦難は、まだまだ序章に過ぎなかった・・・・・・
まさかこの翌年・・・17隻の英仏蘭米連合艦隊が来襲するとは、一体誰が予想できたであろうか・・・・・・
<宮本コメント>
外国船を使って外国船を攻撃するという、何かちょっと変な構図。
同時期に、長州藩のイギリス密航留学生として井上馨や伊藤博文らが横浜から出航します。
そんなアグレッシブさが長州藩の魅力(笑)
ちなみにこの攘夷戦を経て、藩主に呼ばれた高杉晋作が設立したのが、あの奇兵隊です。
■艦娘と長州征伐
さて、軍艦3隻を潰された長州はその後も踏んだり蹴ったり・・・というかフルボッコだった。
幕府の船が来てひと悶着あるわ、政変で京を追い出されるわ、池田屋事件に遭うわ、
蛤御門の戦いで朝敵にされるわ、欧米の連合艦隊に襲われるわ、幕府に家老3人の首差し出すわ、
高杉がクーデター起こすわ、内戦が起こるわ・・・・・・
うーむ、書き出してみるとなんて濃厚ドラマチック・・・もとい悲劇の繰り返し。
・・・が、長州も軍艦たちも、まだ終わっていなかった!
内戦の後、政権交代を果たし、薩摩と手を結んで軍備増強した長州の辞書に、敗北の文字は無いッ!!
乙丑丸&丙寅丸というニューフェイスを加え、長州vs幕府の戦い・第二次長州征伐が、今、幕を開ける!!
<宮本コメント>
え?轟沈した?だったら引き揚げればいいじゃない!
・・・という訳で、庚申丸改&癸亥丸改です。(勿論、実際には「改」とか付きませんw)
大砲描くのが面倒臭いので、乙丑&丙寅と同じく背中に背負う形にしました。庚申の腕の銃は、陸兵をイメージしたもので、直接の関係はありませんw
因みに何やら勇ましい台詞を吐いてますが、第二次長州征伐の時は乙丑や丙寅に曳航して貰ってました。
うーむ、もし「艦これ」だったら、改造するために一度轟沈させないといけないのか・・・。任務「上海に密航して壬戌丸を売却せよ!」も忘れずにね!
※第二次長州征伐・・・朝敵・長州に対する、幕府のお仕置きタイム。長州では「四境戦争」と言う。第一次は長州が謝罪したので戦争に至らなかった。
※防長二州・・・周防&長門、つまり長州藩の事。
さて、以上でイラスト企画「幕末艦を艦これ風にしてみた ~長州編~」終了です。
マニアックな自己満足企画でしたが、ここまでご覧頂きありがとうございました。
幕府艦も考え中ですが、ものすごーく疲れたので、もうこんな手の込んだ見せ方はやりませんw
今回の記事で、長州にちょっとでも興味を持って貰えたら嬉しいです。
私自身、奇兵隊などの陸戦にばかり注目していましたが、海戦もイイですね!
来年の大河は是非、VFXを駆使して熱い軍艦バトルを描いて欲しいものです・・・
おしまい。
※05.09修正:トン数が重量か排水量か判然としないため、削除しました。
※10.11修正:おまけイラストを撤去しました。
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