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3月に実施した、「幕末艦を艦これ風にしたらどうなるか?」企画第2弾!
前回、幕府と戦った長州艦を取り上げましたが、今回は逆に幕府艦をご紹介!
なお、ただの個人的趣味のお遊びな上、ネットや本で得たニワカ知識のユルユル考証です。解説は雰囲気程度に受け取って下さい(笑)
あくまで概念的な擬人化なので、大砲どうやって撃つんだとか、そもそもサイズ比がおかしいとか、細かい事は気にしない!
>>前回「長州編」はこちら<<
■そもそも「長州征伐」って何?
黒船がやってきて、攘夷だヒャッハーと意気込む長州藩急進派。
京都の尊攘派公家と組んでブイブイ言わせますが、調子に乗り過ぎて、薩摩&会津らのクーデターにより京を追い出されてしまう。(八・一八の政変)
幕府に嘆願を繰り返すも聞き入れられず、遂に兵を京に上らせ、御所で薩摩・会津と戦争になってしまう。(禁門の変)
御所に発砲した事で、長州は「朝敵」の烙印を押され、それを討つべく幕府・諸藩の軍勢約15万が長州を取り囲む。
穏健派に政権交代した長州は、三家老の首を差し出すなどして幕府に謝罪し、戦争は回避される。(第一次長州征伐)
が、高杉晋作らのクーデターにより、長州で急進派vs穏健派の内戦が勃発。政権は再び急進派の手に戻り、密貿易で軍備を増強し始める。
これにより、幕府・諸藩が再び長州に出兵。慶応2年(1866)6月7日、遂に攻撃を始める・・・・・・
―― こうして、幕府軍約10万超 vs 長州軍約3500の戦い
第二次長州征伐の火蓋が切って落とされたのだ!!
因みに、石州口・芸州口・大島口・小倉口の4つの国境から攻められた事から、長州では「四境戦争」と呼ぶ。
※兵数には諸説あります。
・・・という訳で、朝敵長州は天にかわっておしおきよ!
>>暁の関門海峡に勝利を刻んで、幕府の力を見せつけてあげましょう!!<<
前回、幕府と戦った長州艦を取り上げましたが、今回は逆に幕府艦をご紹介!
なお、ただの個人的趣味のお遊びな上、ネットや本で得たニワカ知識のユルユル考証です。解説は雰囲気程度に受け取って下さい(笑)
あくまで概念的な擬人化なので、大砲どうやって撃つんだとか、そもそもサイズ比がおかしいとか、細かい事は気にしない!
>>前回「長州編」はこちら<<
■そもそも「長州征伐」って何?
黒船がやってきて、攘夷だヒャッハーと意気込む長州藩急進派。
京都の尊攘派公家と組んでブイブイ言わせますが、調子に乗り過ぎて、薩摩&会津らのクーデターにより京を追い出されてしまう。(八・一八の政変)
幕府に嘆願を繰り返すも聞き入れられず、遂に兵を京に上らせ、御所で薩摩・会津と戦争になってしまう。(禁門の変)
御所に発砲した事で、長州は「朝敵」の烙印を押され、それを討つべく幕府・諸藩の軍勢約15万が長州を取り囲む。
穏健派に政権交代した長州は、三家老の首を差し出すなどして幕府に謝罪し、戦争は回避される。(第一次長州征伐)
が、高杉晋作らのクーデターにより、長州で急進派vs穏健派の内戦が勃発。政権は再び急進派の手に戻り、密貿易で軍備を増強し始める。
これにより、幕府・諸藩が再び長州に出兵。慶応2年(1866)6月7日、遂に攻撃を始める・・・・・・
―― こうして、幕府軍約10万超 vs 長州軍約3500の戦い
第二次長州征伐の火蓋が切って落とされたのだ!!
因みに、石州口・芸州口・大島口・小倉口の4つの国境から攻められた事から、長州では「四境戦争」と呼ぶ。
※兵数には諸説あります。
・・・という訳で、朝敵長州は天にかわっておしおきよ!
>>暁の関門海峡に勝利を刻んで、幕府の力を見せつけてあげましょう!!<<
■艦娘紹介
■旭日丸【あさひまる】
幕府の命により、水戸藩が建造した洋式軍艦。安政3年(1856)竣工の木造帆船。全長約42メートル。
帆船のため輸送船として使われる事が多かったが、第二次長州征伐では軍艦として砲撃に参加している。
維新後は民間の運送船として使われたらしい。
<宮本コメント>
水戸だから印籠!安直イズ・ザ・ベスト!
幕府艦で使われた黒帯の入った帆印は、安政6年(1859)に白帆に改正されましたが、デザイン性を重視して
ビキニの柄はそのままです(笑)
■順動丸【じゅんどうまる】
文久2年(1862)に幕府が購入した、鉄製蒸気船。全長約77メートル、排水量405トン。
元は前年にイギリスで建造された商船「ジンギー(仁記)」である。
備砲が少なく運送船として利用されたが、将軍家茂や姉小路公知、勝海舟など、錚々たる人物が乗船している。
慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの後、江戸へ向かう新選組も乗船した。
同年、寺泊で新政府軍の攻撃を受け、自爆。外輪の部品が一部現存している。
<宮本コメント>
活躍が地味なので、いまいちキャラが掴みにくい・・・
大型の船なので長身ボインにしましたが、排水量はそれほどでもないですね・・・(笑)
中国語名の船は、宮本の趣味によりチャイナ服風の服を着せています。
■翔鶴丸【しょうかくまる】
文久3年末(西暦では明けて1864)に幕府がイギリスの会社から購入した木造蒸気船。排水量350トン。
元は安政4年(1857)にニューヨークで建造された商船「ヤンチー(揚子)」である。
購入した年に将軍家茂の上洛に使われ、その際は艦隊の旗艦を務めた。
第二次長州征伐でも多くの砲撃を行い、大島口や小倉口で大いに活躍した。
慶応4年(1868)に旧幕府から明治政府に上納され、新政府側の所属になるが、兵の輸送中に網代湾で沈没。
<宮本コメント>
この艦もやはりキャラが掴みにくく、鶴なので頭がおめでたい感じにしてみた(笑)
語尾の「ヤンス」は「揚子」のもじりです。
幕末艦で面白いのは、新政府に上納された艦は立場が180°変わってしまう事ですね。
まあ、そのせいでかつての仲間同士が戦ってしまう事になるのですが・・・・・・
■太江丸【たいこうまる】
元は文久2年(1862)にニューヨークで建造された木造蒸気船「ターキアン」。排水量510トン。
商船として使われ、後に幕府が購入するが、実はこの船、元治元年(1864)に米海軍にチャーターされ、
四国連合艦隊の1隻として、下関砲撃に参加している。
第二次長州征伐に参加した後、仙台藩に貸し出され、戊辰戦争では榎本艦隊に加わっている。
その後外国人に売られるが、新政府の取り調べを受け新政府の所属艦となる。
<宮本コメント>
なかなか数奇な運命を辿っていますが、資料が無くて良く分らん・・・
「大江丸」表記もありますが、太い方が正しいっぽい??
なんか商船のイメージが強かったので、商人っぽく眼鏡っ子。
■回天丸【かいてんまる】
元は安政2年(1855)にプロイセンで建造された木造蒸気船「ダンジック」。全長約69メートル、排水量710トン。
海軍の軍艦として使用されたが、8年ほどして除籍。イギリス商人に売られ、大砲13門を備えた「イーグル号」に生まれ変わる。
慶応元年(1865)アメリカに渡り、長崎で長崎奉行が購入。
第二次長州征伐が始まると幕府艦となったが、あまり積極的に戦闘に参加しなかった。
慶応4年(1868)、榎本艦隊の一員として仙台に向かう途中、台風に遭いマストを損傷、以後帆は使わなくなる。
明治2年(1869)、宮古湾海戦で新政府の甲鉄艦を奪取するため、アボルダージュ(接舷攻撃)を試みるも失敗。
この時、土方歳三ら新選組隊士も乗船していたが、野村利三郎が戦死している。
その後も海戦が続き、浮砲台となるまで奮戦するが、新政府軍の攻撃により乗組員は脱出、船体は新政府軍により焼かれた。
<宮本コメント>
今回紹介する中で一番の知名度を誇るであろう、回天丸です!
回天といえば、やはり有名なのは甲鉄艦との手に汗握る海戦ですね!
・・・という訳で、イラストも戊辰戦争時をイメージしたものになってます。
プロイセン(ドイツ)生まれなので、ちょっと硬派系。(ただし建造されたのは現ポーランド領)
名前が「回天」なので、円や回転をモチーフにしていますが、もうちょっと幼い姿の方がしっくり来たかな。
それにしても、好きな艦なのに描きにくい・・・!外輪が!砲台が!
「回天」というと太平洋戦争中のアレを思い浮かべますが、幕末用語も「回天」と付くものはやたら多いです。
因みに「回天」と名の付く蒸気船はもう1隻ありますが、まあ、そのうち・・・・・
■富士山丸【ふじやままる】
文久2年(1862)に幕府がアメリカに発注した軍艦。排水量1000トンを誇る。
慶応元年12月(西暦では明けて1866)、日本にやって来る。
第二次長州征伐では幕府軍の主力として活躍。大砲が破裂する事故もあった。
慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの後、江戸に帰る新選組隊士らが順動丸と富士山丸に分乗。
富士山丸に乗船中、負傷していた新選組隊士の山崎烝が死亡し、水葬にされたという。
同年、明治政府に上納され、新政府艦として戊辰戦争を戦う。
明治4年(1871)、海軍兵学校の練習艦となる。
明治9年(1876)、蒸気機関を撤去し、3本マストの帆船となる。
明治22年(1889)、除籍され雑役船となった後、明治29年(1896)、売却される。
<宮本コメント>
「ふじさん」ではなく「ふじやま」らしい。
戦争で沈む船が多い中、天寿?を全うした船はホッとしますね。1866年から30年働きました!
キャラデザは、「アメリカが日本風を目指して作ったけどなんか違うよ!」感を出してみました(笑)
見えないけど富士山型の砲台を背負っています。
■出撃!関門海峡!!
前回、長州艦6隻、今回は幕府艦6隻を紹介しましたが、彼女らの実際の戦闘の様子を「艦これ」風にしてみました。
ありがとう長州!さようなら長州!君たちの事はきっと忘れないよ・・・!
ワイオミング号(アメリカ):「オイタヲスルコハ、オ・シ・オ・キ・DEAAAAAATH!!!」
庚申丸:「クソッ・・・帆船ではここまでか・・・!」
癸亥丸:「庚申丸!壬戌丸!ちっくしょおぉぉぉ!!」
壬戌丸:「いやあああ!私ただの運送船なのに~!」
<宮本コメント>
文久3年の攘夷戦の内、長州艦2隻が犠牲となった6月1日の回の様子です。無茶しやがって・・・
この時の被害は、長州側が死亡8名・負傷7名、アメリカ側が死亡6名・負傷4名だそうです。
前回紹介しましたが、沈没した庚申・壬戌は引き揚げられて修復、癸亥も修復され、壬戌は外国に売却されます。アグレッシヴ長州!
四国連合艦隊:「オトナシク関門海峡ヲ開ケナサーイ!」
長州:「ぎゃあああああああ!」
四国連合艦隊:「賠償金払イナサーイ」
長州:「あー、攘夷は幕府の命令でやった事なんでー、そっちに言ってもらえますー?」
<宮本コメント>
なんだこれ、バグかな?
この戦いでの被害は意外にも連合国の方が多く、連合国側の死亡12名・負傷50名、長州側の死亡18名・負傷29名だそうな。(陸戦含む)
この後の講和談判に、高杉晋作が別人になりすまして登場、責任は幕府に押し付けられます。
連合国は下関開港などを引き出すつもりで、幕府に300万ドルの賠償金を吹っ掛けますが、幕府は賠償金支払いを選択。
その未払い分3分の2が明治政府に回ったり、アメリカが返金してくれたりしますが、それはまた後の話・・・・・
丙寅丸:「長州乙女の腕前、お目にかけちゃいます!!」
乙丑丸:「亀山社中の皆さん、一緒に頑張りましょう!」
癸亥丸:「夷狄に比べりゃ、幕府なんざチョロいチョロい!!」
庚申丸:「防長二州の底力、教えちゃる!!」
丙辰丸:「薩摩と約束したんです!皇国の御為に砕身尽力仕るであります!!」
富士山丸:「ホーッホッホッホ!公儀の威厳に平伏すがいいでござる!!」
翔鶴丸:「よっしゃー!翔鶴ちゃん行っくでヤンスよー!」
順動丸:「何度言っても分からないなら、仕方ありませんね」
太江丸:「また長州ですか・・・困った者たちですね・・・」
回天丸:「ふん・・・徳川も舐められたものだな・・・」
旭日丸:「えぇい!外様の分際で!この紋所が目に入らぬか!」
明光丸(紀州藩):「かめ・・・やま・・・しゃちゅう・・・?何!?何か嫌な予感がする・・・!」
飛竜丸(小倉藩):「おのれ長州ぅ~!あっ、富士山丸さん回天丸さん真面目にやって下さい!!」
八雲丸(松江藩):「あー、めんどくさーい」
<宮本コメント>
どう見ても幕府が勝つのに、なぜ負けたのか・・・
因みに、紀州藩の明光丸は「いろは丸沈没事件」で亀山社中が乗った「いろは丸」と衝突したアレです。
なお、艦名は宮本が調べて発見したもののみで、戦闘の時期や場所によって組み合わせも異なります。
参考資料:古川薫・著「幕末長州藩の攘夷戦争」、野口武彦・著「長州戦争」ほか
これにて「幕末艦を艦これ風にしてみた ~長州征伐編~」無事終了です。
マニアックな自己満足企画でしたが、ここまでご覧頂きありがとうございました。
まだまだ取り上げたい艦はあるんですが、いつ終わるやら・・・
次回はオランダ生まれの幕府艦を紹介予定!教科書にも載ってる超有名艦も登場するぞ!時期未定!!(笑)
長州大河まであと2ヵ月・・・。果たして熱い軍艦バトルは見られるのか!?
おしまい。
※12.07修正:第二次長州征伐の兵数を修正しました。
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あれ?順動丸は……
どうも、はじめまして。
一年以上も前の記事を今更ながら読ませて
いただきましたが、
第二次大戦よりも更に昔の艦の
艦これ風擬人化は大好物なので
とても楽しませて頂きました。
でも、この中で順動丸だけはWikiにも
第二次長州征伐に参加したという記載が
無かったのですが、
もしかして順動丸だけは不参加だったのではと……
一年以上も前の記事を今更ながら読ませて
いただきましたが、
第二次大戦よりも更に昔の艦の
艦これ風擬人化は大好物なので
とても楽しませて頂きました。
でも、この中で順動丸だけはWikiにも
第二次長州征伐に参加したという記載が
無かったのですが、
もしかして順動丸だけは不参加だったのではと……