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■副題:「孤高の戦い」
■年代:1866年4月~8月 美和=24歳 伊之助=38歳 高杉=28歳
■登場艦船:丙寅丸(長州)、幕府艦隊、富士山丸(幕府)
想像してみて下さい、もし「八重の桜」の会津戦争がちょっと鉄砲で撃ってるシーンだけで、
大半は城で女たちが「ウチのダンナがウワキしてて~チョーショックぅ~」とか言ってるシーンだったら・・・・・・
それが今年の大河だよ!(籠城はしてないけど)
まだ「三味線ドーン」やってた龍馬伝の方がマシだったんじゃないか・・・?
ってか、伊之助の相方・宍戸備後助はどこ行った?名前だけ!?
・・・というわけで、今回は第二次長州征伐(幕長戦争)や伊之助&宍戸コンビについて語りましょう・・・。
■年代:1866年4月~8月 美和=24歳 伊之助=38歳 高杉=28歳
■登場艦船:丙寅丸(長州)、幕府艦隊、富士山丸(幕府)
想像してみて下さい、もし「八重の桜」の会津戦争がちょっと鉄砲で撃ってるシーンだけで、
大半は城で女たちが「ウチのダンナがウワキしてて~チョーショックぅ~」とか言ってるシーンだったら・・・・・・
それが今年の大河だよ!(籠城はしてないけど)
まだ「三味線ドーン」やってた龍馬伝の方がマシだったんじゃないか・・・?
ってか、伊之助の相方・宍戸備後助はどこ行った?名前だけ!?
・・・というわけで、今回は第二次長州征伐(幕長戦争)や伊之助&宍戸コンビについて語りましょう・・・。
とりあえず史実の流れを確認。例によってドラマに出なかったものは()書き。
4月◆宍戸・伊之助ら応接のため広島へ
5月◆伊之助、国泰寺にて幕府詰問使に応接
宍戸・伊之助、幕府に拘禁される
6月◆徳川茂承、広島着
幕府軍、大島砲撃<幕長戦争開戦>
丙寅丸、幕府艦隊を奇襲
(長州軍、田野浦・門司上陸<三味線ドーン>)
宍戸・伊之助、解放される
7月◆小舟で富士山丸に奇襲
宍戸・伊之助、山口着
将軍家茂死去
8月◆(富士山丸、江戸に向かう)
小倉城炎上
(将軍家茂発喪)
(伊之助、家訓を書く)
(9月◆休戦談判)
ドラマでは完全スルーされてましたが、宍戸や伊之助が広島に行くのはこれが2度目。
前年の11月に宍戸が既に2回、国泰寺で幕府に応接してます。(この時は伊之助は出席していない)
引き延ばしを頑張ってたのは伊之助だけじゃない!むしろ役職的に宍戸がメインだよ!
この宍戸備後助(璣(たまき))は、前の名前が「山県半蔵」。
ドラマの初期に明倫館で出てきた山県太華の養子です。あ、有朋とは関係ないよw
宍戸は伊之助と誕生日がまったく一緒の文政12(1829)年3月15日生まれ!
そして同じく儒者の家に養子に行き
同じく明倫館で学び
同じく安積艮斎に学び
同じく明倫館で働いた親友であります!
そんな2人がまた同じく広島に派遣され、幕府に捕まってしまった・・・!
・・・っていうコンビっぷりを見たかったんだよ!なんで宍戸は名前しか出てないんだよ!
幕府との戦争解説本・「長防臣民合議書」だって宍戸の発案だよ!
さて、第3回目の国泰寺訊問は宍戸が病気だったので伊之助たちが出席。
高杉や桂・前原を出頭させるよう迫られたのは史実通り。
台詞から村田次郎三郎や太田市之進の存在が確認されましたが、村田は伊之助と一緒に野山獄に入ってたはずですが、いなかったぞ!?
そのブラックリストの中に宍戸や伊之助も入っていたのだが、名前を変えていたのでバレなかったという。
「楫取素彦伝」記載のものだと、宍戸は前名の「山県半蔵」で載ってるからいいとして、
伊之助は当時の名前の「小田村素太郎」となっている。それじゃバレバレじゃ?もしかして前名の「小田村文助」で載ってたのだろうか?
後述する「広島幽囚記」だと「小田村次郎三郎」となっているが、それ村田とごっちゃになってないか?
・・・この辺よく分からん。ただ、後年の回顧談で楫取は「幕府は知っててわざと聞いてきた」という趣旨の事を話している。
ドラマでは訊問の場で取り押さえられてましたが、実際は違います。
ってか、野山獄に入る時といい、なんでいきなり取り押さえられるんだw
『楫取家文書』の「広島幽囚記」によると、宍戸の宿陣が幕府側の兵に5重(!)に取り囲まれ、「御不審の義これ有り」という事で捕まってしまう。
「宍戸備後助」=「山県半蔵」、「小田村元三郎」=「小田村次郎三郎」だという。
・・・って名前間違ってるよ!「素太郎」だよ!
2人は書類も所持品も取り上げられ、小笠原長行の宿陣前の土蔵に軟禁されてしまう。
宍戸は病気のため袴無しで土蔵の2階に、伊之助は麻の裃姿で1階に。
ドラマで伊之助は「捕まってる間、長州軍の奮戦ぶりが聞こえてきてキモチ良かったよ」的な意味不明な事を言ってましたが、
実際は捕まる前から身の危険を感じていて、長州に戻る仲間に水墨画を贈ったりしています。
拘禁中も死を覚悟し、漢詩を読んだりしていますが、「宮本が選ぶ楫取のかっこいい漢詩ぶっちぎり第1位」があるので、『楫取素彦伝』の「楫取素彦の漢詩文」から書き下し文を引用してみます。
魂神一躍し去りて天に升れば、
身後何ぞ墓田を営むに遑あらん。
磔柱に塗金するは我が願ひに非ず、
好し、腐尸を将(も)って烏鳶(うえん)を飽かしめよ。
かっけえええー!ざっくり意訳すると、「我が魂が天に昇れば、墓などはいらない。我が死肉は鳥についばまれるが良い」って感じでしょうか。
「腐尸を将って烏鳶を飽かしめよ」の言い回しがかっこよすぎる!
こういう詩歌がスルーされて、伊之助がつまらんキャラに描かれるのは非常に残念ですね。
1ヵ月半の拘禁の後、和平交渉を期待した老中・本荘宗秀が独断で2人を解放しましたが、結局戦争はまだまだ続く。
解放後山口に帰った伊之助は、止戦応接のため各地に出張しています。
さて、第二次長州征伐(幕長戦争)の方は、富士山丸と丙寅丸(オテントサマ丸)が登場!
この2隻に関してはメニューの「幕末艦娘」で色々語っております。
ついでに「艦これ風」戦闘シーン(※参戦軍艦を並べただけで、実際の戦闘地域は別)置いときますね。
これ、幕府艦隊が本気出せば、余裕で長州に勝てそうなんだけどなぁ・・・
本来なら「八重の桜」の会津戦争レベルの描写が欲しいんですが、なんだよあの戦闘シーンは・・・
ほとんど高杉が叫んでるだけじゃねぇか・・・
ここにきて申し訳程度に大村益次郎&山田顕義が登場。山田に至っては、字幕つけてないと分からなかったぞ!
そういえば、龍馬も乙丑丸(ユニオン号)で参戦していたはずですが、まったく触れられませんでしたね。
ほんとにこのドラマは「点」「点」ばっかで「線」の描写が無いなぁ・・・
そして文のどーーーでもいいシーンにはダラダラダラダラ時間をかける・・・。
また中身の無い美辞麗句を語っているし・・・。本当に無駄で不愉快・・・
夫に妾がいた?だから何だと言うんだ、当時はよくある話じゃないか。
どっかの伊藤みたいに離婚して芸者と結婚してから騒げ!(笑)
伊藤がすみと離婚したのはこの年3月14日ですが、完全スルーでしたね。
すみとの結婚は触れたのに離婚描かないと収まりが悪いぞ・・・。
ってか、すみって何のために出て来たんだろう・・・。一応、兄たちの過激な行動を止めようとはしてたけど・・・
史実では稔麿の母が2人の結婚に関わったらしく、離婚の時もすみを家まで送ったが、すみが自殺するのではないかと心配だったそうな。
すみはその後ちゃんと再婚しています。・・・っていうか、梅子は出てくるんだろうか。
ところで、文が薬袋を作ってましたが、まさか・・・楫取が後に所持する錦旗で作った巾着袋、美和作にするんじゃないだろうな・・・
話変わって、「真田丸」に高木渉さんが出るそうですね!声優以外のお芝居を見るのは初めてなので楽しみです!
三谷作品だと人形劇ホームズでワトソンでしたね。
頑張れ、高木刑事&元太&仮面ヤイバー!(笑)
以下、らくがき。
※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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