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■副題:「いざ、群馬へ」
■年代:1873年夏~? 美和=31歳 楫取=45歳 寿=35歳
さあ!今回から花燃ゆの舞台は群馬県へ!
ようこそ!宇宙の中心群馬県へ!からっ風がちょっと強いけど、ゆっくりしていってね!
・・・・・・とでも言うと思ったのかあぁぁぁーーー!!
こんな史実無視した群馬入りなど認めんわ!どこの異次元だこれ!?
ってか、明治6年夏以降に「群馬県」は存在しない!!
語りたい事は山のようにあります!さっそく行ってみましょう!朝ドラの感想もちょこっと。
■年代:1873年夏~? 美和=31歳 楫取=45歳 寿=35歳
さあ!今回から花燃ゆの舞台は群馬県へ!
ようこそ!宇宙の中心群馬県へ!からっ風がちょっと強いけど、ゆっくりしていってね!
・・・・・・とでも言うと思ったのかあぁぁぁーーー!!
こんな史実無視した群馬入りなど認めんわ!どこの異次元だこれ!?
ってか、明治6年夏以降に「群馬県」は存在しない!!
語りたい事は山のようにあります!さっそく行ってみましょう!朝ドラの感想もちょこっと。
さて、困った困った。史実無視しすぎで、年表をどう書けばいいか・・・
とりあえず、劇中は明治6(1873)年のようなので、明治5~6年を楫取の動き中心に見てみましょう。
【明治5(1872)年】
2月◆楫取、足柄県に七等出仕
6月◆皇后が箱根宮ノ下温泉に行啓、楫取も奉仕
7月◆富岡製糸場完成
8月◆楫取、足柄県参事に
9月◆東京-横浜間に鉄道開通
10月◆富岡製糸場操業開始
11月◆厩橋学校(後の桃井小学校)開校
12月◆新暦に改暦、12月3日が明治6年1月1日に
【明治6(1873)年】
5月◆皇居炎上。楫取、赤坂離宮に出仕し天機伺い
6月◆群馬県と入間県が合併し熊谷県に
8月◆天皇皇后が箱根宮ノ下に行幸、楫取も奉仕
10月◆明治6年の政変、西郷ら下野
12月◆民治の妻・亀、病死
・・・・・・あれえ!?全然違う!?群馬じゃなくて足柄県(伊豆半島辺り)行ってますけど!?
時間を早送りして楫取が群馬県令になるまでの足跡を見てみましょう。
明治7(1874)年◆7月、熊谷県権令(副知事のようなもの)に
明治9(1876)年◆4月、熊谷県令に
8月、熊谷県が群馬県と埼玉県に分かれ、群馬県令に
・・・てな感じ。だいぶドラマは史実いじくってますね。
群馬県だの熊谷県だのややこしいので、図にしてみました。
これ見ると県民の日は8月21日の方がイイんじゃね?という気もしますが(笑)東毛三郡(鶴の首の辺り)は栃木に入ってたらしい。
「そもそも鶴に見えねーよ」という他県の皆さん、ドントシンク、フィール、です。
ちなみに群馬県令になった日は、楫取は7月から長期休暇で帰郷中だったりしますw
これからドラマで色々史実ネタも出てくると思われますが、
楫取が群馬方面(熊谷県)に来たのは明治7年7月
群馬県令になったのは明治9年8月
・・・という事を念頭に置いておくと事実誤認が無くて良いかと思います。
うーん、確かに足柄県→熊谷県→群馬県ってのは分かりにくいけど、もうちょっと何とかならなかったのか・・・
ナレーションでさらっと触れるとか・・・。
そもそも劇中が何月なのか分からん・・・。二条窪は夏っぽかったが、伊藤が「西郷が不穏」とか言ってたのは政変後?群馬でからっ風が吹いてたのは冬?
そういえば、暦が新暦に変わったので、もう旧暦との差を考えなくて済みますね!
盛大にスルーされた亀さんの死については前回語りました。
さて、今回も色々ツッコミどころが多すぎるので、じゃんじゃん書いていきましょう。
いきなり前原にスポットが当たりましたが、最後に出たのいつだよ!今までどこで何やってたんだよ!
明治政府を碌に描かずに、いきなり前原の不満を描かれても、ちっともピンと来ないんですが・・・
杉家にとって萩の乱は重要な出来事ですが、その事はドラマを作る130年以上前から分かっていた事です。
なぜそれに向けてきちんと説明と伏線張りをしないんだ・・・!何のための歴史ドラマだ・・・!
美和はまた中身の無い説教をしているし・・・
久米次郎の思想や東京に行った時期はちょっと分かりませんが、小太郎が前原派なのは史実通り。
他に前原に与した杉家関係の若者は、民治の養子・相次郎と、玉木文之進の養子・正誼ですが、2人とも出てきませんね・・・
正誼は乃木希典の実弟で、民治の長女・豊と結婚します。豊も明治編になってから出てこない・・・。
杉家・玉木家と乃木兄弟の関係は面白いのに、なんでドラマだとスルーしたんだ・・・
そういえば美和が「私が見ていなかったばっかりに・・・」とか言ってましたが、いつちゃんと見てたっけ・・・
ところで、久米次郎と小太郎の見分けがつかない!せめて髪型変えてくれ!
・・・と言いつつ、私も古写真を参考にキャラデザしたらカブりました・・・orz
てか、久米次郎は久坂家を継いでいるはずです。良く見たら役名が「楫取久米次郎」っておかしいだろ!
さて、美和も楫取夫妻と共に群馬に行く展開になっていましたが、
朝ドラのようにちゃんと姉妹の仲の良さが描かれてれば応援する気にもなるんですが、
花燃ゆの場合、「こいつ、姉の病気を口実に旦那盗ろうとしてやがる・・・!」としか見えない・・・!!(笑)
初恋設定って、ホント百害あって一利無しだよね・・・
実際は明治8年辺りからチョコチョコ楫取家の手伝いに行ってたみたいですね。
寿も二条窪の邸を放っておく訳に行かないので、楫取の足柄県行きに最初からついていった訳では無く、途中から行ってまた帰郷したり。
明治6年に群馬県が存在する事もびっくりですが、おぉ!?県庁が前橋にあるぞ!?
「紀行」で県庁移転についてサラっと触れてたけど、ストーリー本を見る限りドラマには出てこないっぽいし・・・
近代群馬を語る上で絶対に避けて通れない(?)「県庁移転問題」、スルーする気マンマンだぞこれ!
・・・と、いう訳でさくっと説明。あぁ・・・記事が長くなる・・・まあいいや。
第一次群馬県発足時は県庁は「高崎」。
が、明治5年に県庁(旧高崎城)が兵部省に接収されたため、「前橋」に移転。
熊谷県では県庁は熊谷、支庁が「高崎」にありました。
なので第二次群馬県では「高崎」が県庁になりましたが、建物が分散していて不便でした。
そこで前橋の有力者たちが県庁を誘致。「前橋」に仮移転しました。
不満を持つ高崎町民に対し、楫取は「地租改正が終わるまでの仮県庁だから・・・」と説得します。
ところがどっこい!明治14年に「前橋に県庁を置く」という太政官布告が出ます。
高崎町民は説明を求め、遂に千人あまりが県庁に強訴に押し掛けるも、楫取には会えず。
結局裁判所に訴えますが、原告の請求が却下となってしまいました。
こうして代わりに立てられたのが白衣観音です。(嘘です)
それから130年あまり・・・。高崎駅は新幹線も止まり、駅ビルも立派だけど、前橋駅周辺って寂・・・のどかだよね
・・・ってどうでもいいんだよそんな事はw
ドラマの話に戻りましょう。
その県庁で楫取は「並んで」って言われたからってなんで馬鹿正直に並ぶんだよ!
「もう君帰っていいよ」って先生に怒られたら帰っちゃう小学生かよ!そこは説明しろよ!
楫取をイイ人に描きたかったのかもしれませんが、なんかアホに見える・・・
あと、なんで追い剥ぎとか出てくんだよ!群馬馬鹿にしてんのかよ!
富岡製糸場のシーンは良かったですね。ああいう再現CGは大河の醍醐味の1つですね。
今回から群馬関係の考証で、手島仁氏も参戦!
・・・あぁ、本当に時代考証の先生は豪華なのに・・・なんで肝心のドラマの内容がこうなんだ・・・・・・
一度、時代考証の意見を可能な限り採り入れた時代劇を見てみたいですね。
・・・とりあえず、群馬の皆さんは「紀行」を楽しみに残り2ヵ月見ましょうか・・・・・・
さあ!話変わって、朝ドラについて!
待ってました土方登場!何故か大石鍬次郎もいるよ!
って、そのライティングは違う人!違う人!スタッフ遊びすぎだ!グッジョブ!w
土方が「加野屋」に金を借りに来たのはモデルの「加島屋」の史実通り。
大同生命のサイトで詳しく説明されてますが、慶応3年12月の事です。
もう大政奉還も終わり、王政復古の大号令の直前。
高杉も龍馬も中岡も伊東甲子太郎も藤堂もこの世にいない・・・
「花燃ゆ」だと第37回、美和が「京都に久坂の子捜しに行くついでに若殿に薬届けるよ(違)」とか言ってた頃ですかね。
史実ネタをドラマの中で面白く見せる!これが歴史ドラマだよ!なんで朝ドラでできて大河でできないんだよ!
大坂の経済の話なら、第二次長州征伐関係も触れて欲しかったなー・・・なんて。
えらく長くなってしまいました。これが群馬への郷土愛か・・・!
ってゆーか、ドラマで全然史実ネタやってくれないんだもん・・・orz
以下、らくがき。
楫取は熊谷県に行くの嫌だったようですよ(笑)
熊谷行きを頼んだのは大久保・・・のはずなんですけど、出ないねぇ・・・。朝ドラには出たのに・・・
おまけ。
※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の年齢表記は原則として数え年です。
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