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■副題:「母になるために」
■年代:1863年9月?~1864年1月?  文=21歳 伊之助=35歳 久坂=24歳



今回は創作が多すぎて、一体いつの話をしているのやら・・・


とりあえず感想レッツゴー。




なんで女達はみんな三田尻に来るんだ。帰れ。帰ってくれ!
八つ橋とかどうでもいいわ・・・。文はなんで飯炊き女になってるんですか?

久米次郎を養子にもらう話はまぁ重要ですが、別にナレーションでいいよ・・・
ちなみに、伊之助の幼名も「久米次郎」であります。
これだけクローズアップするからには、当然、久米次郎=楫取道明の最期もちゃんと取り上げてくれるんでしょうねえ??

そういえば、杉家三女の艶(夭折)の存在が確認できました。
えーと、松陰の妹で一番有名な長女の千代は・・・?
まぁ、変にいじられるくらいなら出ない方が・・・げふんげふん。


今回、村塾四天王が京に集結してるのは創作です。
とりあえず、今回出てない人も含め、この時期の皆様の史実での動きを確認してみましょう。

◆久坂&入江
11月・「奉勅始末」(長州が自身の正当性を訴えた文書)を持った井原主計と共に京へ向かう
    久坂は大坂で別れ、入江は京に潜伏、井原は入京が許されず

◆高杉
1月・来島を説得せよとの命を受ける
   相手が聞き入れないため、京の実情を探るべく、山田顕義を連れ京へ向かう
2月・京都着

◆稔麿
9月・幕府と長州の問題解決のため、江戸行きを命じられるが、中止される
(この後、また中止になる?)
11月・また江戸行きを命じられ、江戸に到着。(この御用の間だけ、「遠近付」に昇格)

◆伊之助
9月・藩主の使者として芸州へ
12月・小納戸役・書物係を命じられる
1月・藩命で長崎へ

◆七卿
10月・沢宣嘉が生野の変に参加するため脱走

◆桂
10月・山口に帰る。
1月・京都着。対馬藩邸に潜伏

◆長州ファイブ
留学生活エンジョイ中


憲兵の兄やん・・・じゃなくて新選組の沖田総司が出てきましたね!
四天王vs沖田はネタとしては面白いと思いますが、イマイチ緊迫感が無くて残念でした。
沖田から逃れた四天王が「俺は○○になる!」と言っていたのは、稔麿が村塾時代に戯れ絵で人物評をしたという逸話が元ネタですね。
前に描いたイラストを再掲。稔麿→風、久坂→武士は創作ですね。


ちなみに、妹に言っていた「自分は国のために死ぬからお前が家を継いでくれ」的な事は5年前に書いた「吉田家家譜」に出ています。


ところで、新選組の方はこの頃どんな状況かというと、2月に将軍警護のため上京して、3月に京都守護職御預に。
8月18日の政変にも出動し、後に「新選組」の名を拝命しています。
9月に芹沢一派を暗殺し、近藤一派の体制が盤石なものとなりました。・・・・・が。

そもそも近藤達が京に来たのは、将軍に従い攘夷を行うため。
ところが、市中見回りを仰せつかっただけで、まったく攘夷が行われる気配が無い・・・
10月に幕臣になる話が来ましたが、当初の目的を果たせていないという事で辞退してしまいました。
新選組が幕臣になるのは大分後の話ですが、実は初期の段階から幕臣のオファーは来ていたのです。
それを断っている訳だから、よく言われる「武士になりたかった」ってのもちょと首をひねる・・・

なかなか攘夷や長州問題への対応を決めない幕府に対し、近藤は遂にある行動に出るのですが・・・・・・
それはまた次回。


そういえば、七卿についてですが、いまだに烏帽子に直衣姿はおかしくないすか?
土方楠左衛門から話を聞いて記したという「土方伯」によれば、伏見で「茶せん・割羽織・野袴」になったというし、
三条らを描いた絵を見ても羽織袴だし、おそらく岩倉使節団の写真の岩倉みたいな格好ではないのかと・・・?
ちなみに、正確な時期がちょっと分からないのですが、10~11月頃に三条&五卿は山口に移っていて、奇兵隊も警備の任から外れます。

キャストに尾崎三良の名前がありましたが、どこにいたのか分からんw
この頃は「戸田雅楽」という名前だった様ですが、マイナー人物すぎて私も名前くらいしか知りませんw

同じく七卿に従って長州に来ていた土方は出ないんでしょうか。
まぁ、変にいじられるくらいなら・・・げふんげふん。


伊之助が長崎に行くのは史実通りですが、なんでそれが高杉脱藩の責任を取る事になるんだ??
高杉も「脱藩してきた!」と堂々と言ってましたが、実際は本人は脱藩したつもりはなく、あくまで「来島の説得」を遂げるため、京の情勢を探りに行ったのです。
しかし野山獄にぶち込まれ、本人は不満タラタラ・・・


気がつけば、長州最凶最悪の年、文久4年(元治元年)がやってきてしまいました。
この年の後半は事件が多すぎて、長州不幸カレンダーが作れるんじゃねえかレベルなんですが、そのラインナップを見てみましょう。


6月・池田屋事件で藩士が殺害・捕縛される

7月・禁門の変で敗北
   長州は朝敵になり、第一次長州征伐開始

8月・英仏蘭米連合艦隊が下関に来襲、長州は降伏

9月・周布政之助、自刃
   井上聞多、刺客に襲われ瀕死の重傷

10月・高杉・伊之助ら罷免

11月・幕府への謝罪のため、三家老切腹、四参謀処刑

12月・急進派の11人処刑(甲子殉難十一烈士)
   高杉ら挙兵、藩内訌戦勃発


・・・ひどい、ひどすぎる・・・。自ら蒔いた種とはいえ、盛り込みすぎだろ・・・。
うーん、こんな怒涛の展開、大河にしたらきっと凄いんだろうなー(棒読み)。


さてさて、次回はいよいよ池田屋事件です!
稔麿好き・池田屋事件好きとしては見逃せません!チェックポイントは

・古高の素性はどこまで掘り下げられるか
・京都放火・天皇奪取計画は無かった設定で行くのか
・桂は池田屋にいるのか、いないのか
・宮部の最期
・稔麿の最期
・長州藩邸の状況は描かれるか

・・・辺りかな。
あまり期待せずに見ましょう。期待しても傷付くだけです・・・
放火計画に関しては、今回、三条に妙な事を言わせてたり、公式サイトに「まさか、京が燃ゆ!?」とか書かれていて嫌な予感しかしません・・・



以下、らくがき。




そういえば書き漏らしていた、稔麿の江戸行きの際の面白いやりとり。(10月下旬)

妻木(稔麿が仕えていた旗本)「朝陽丸事件で説得に当たった吉田稔麿って、もしかしてウチで働いてた吉田栄太郎クン?」
小幡(長州藩江戸留守居役)「そっすよ」
妻木「マジで!?今、幕府と長州の関係修復のため色々働きかけてるから、稔麿クンを交渉役として江戸に呼んでよ~」
小幡「よっしゃ、手紙出しましょう!」
稔麿「つーわけで来ました」
小幡「ええっ!?早くね!?」
稔麿「実はとっくに出発してて、大坂で手紙を受け取ったんですよー」

読みやすくするために、むちゃくちゃフランクな言い回しにしましたwすいません・・・(笑)
こういう交流は面白いと思うんだけど、大河ではスルーなんだよなぁ・・・・・・



※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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