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■副題:「風になる友」
■年代:1864年3月~6月  文=22歳 伊之助=36歳 久坂=25歳



さて、注目の池田屋回。
危惧していた京都放火がデマだったり、稔麿が池田屋へ行く途中に討死したりしたのは、従来の池田屋とは違う展開で評価できるんじゃないでしょうか。


まぁ、もろもろ細かいツッコミはつづきで・・・




まずは、当時の状況を確認するため、史実年表を見てみましょう。
もう色々ありすぎて訳が分かりませんw


3月◆伊之助、長崎より帰国、異国船襲来の風聞を伝える
    稔麿、江戸から京に到着
    参予会議崩壊
    伊之助、再び藩命で長崎へ
    久坂、山口へ帰るが、説得のため来島を連れ再び京へ
    高杉、帰国し野山獄へ入る

4月◆稔麿、山口へ帰る
    元治国是(政治は徳川に任せる勅)が出される
    六卿の錦小路頼徳が病死

5月◆桂に京都留守居役の命が届く
    近藤勇、老中に進退伺いを出す
    稔麿、江戸行きの途中で京に立ち寄る
    周布政之助、酔っ払って野山獄に乱入
    将軍家茂、離京
    一橋慶喜から京都長州藩邸に異国船襲来の風聞が伝えられる
    久坂・来島ら帰国
    宮部鼎蔵、入京

6月◆長州の進発決定
    池田屋事件
    伊藤利助・井上聞多イギリスから帰国
    久坂・来島ら京に向け出発


うーん、この時期はややこしくてどう書けばいいか・・・
過激な長州がいなくなって、有力大名が参予に決まり将軍も再び上洛し、これで平和に話し合いで明治維新だー!
・・・とは問屋が卸さなかった。
参予達の意見は合わず、参予会議は2ヵ月で崩壊し、みんな京を去ってしまった。
この辺の話は例のどぶろっくの久光&慶喜で描かれてたけど、別にナレーションで済みそうなシーンだったなあw

長州がいなくなったからといって、攘夷の勅命が無くなった訳でもなく、幕府は横浜鎖港の約束を果たさねばならなかった。
幕府はヨーロッパに使節まで送っているが、列強諸国はもちろん承諾しない。
うーん、開国派のはずの幕府が横浜鎖港のために遣欧使節を派遣し、攘夷派のはずの長州がイギリスに留学生・・・
幕末ってややこしいですね。

伊之助は3月3日に帰国し、土方久元の「回天実記」によれば、長崎で勝海舟から聞いた異国船来襲の話を報告しました。この話は次回やるっぽい??
11日に再び長崎へ向け出発。同じく回天実記によると、15日には湯田で土方らと共に若殿などからお酒を頂いているようです。
この後、8月10日まで帰ってこないので、池田屋事件も禁門の変も四国艦隊襲来の時も長州にはおらず・・・

異国船来襲の話を受け、長州では再び砲台が整備されますが、その巡視の最中、六卿の一人、錦小路頼徳は血を吐く・・・
結局、30歳でこの世を去ってしまう。どんどん減っていく七卿・・・

高杉は脱藩の罪で野山獄へ。久坂らと共に帰国の途についたそうですが、途中で別れたらしい。松陰と同じ監房なのはベタですがイイですね。
同時期に久子がいるのは盲点だったなぁ。久子は維新後に出獄したらしいので、つまりはあの人が処刑される時や、あの人が投獄される時や、あの人がおにぎり差し入れする時もいる訳ですよ!
・・・特に交流があったという記録は見た事ありませんが。
劇中でいい感じに活かされるといいんですが、さて・・・
ちなみに、一緒に脱藩した山田顕義は、剣術修行が許可されていたのでお咎めなく、2月には桂の指示で江戸へ行っています。
つーか、文はなんで獄に来るんだ・・・。来なくていいから・・・

周布さんが酔っ払って馬に乗って野山獄に来るはずなんですが、なんか次回やるっぽいですね。時系列バラバラだなぁ・・・
そうそう!やっと若殿・毛利元徳が登場しました!おーそーいー!(何回か前に台詞で「定広」って言ってなかったっけ??)
横浜居留地襲撃を目論む高杉達を止めに来る若殿とか見たかったよ!
元徳は高杉や寿と同い年です。ちなみに会津の松平容保の4つ下。
元徳と容保をダブル主人公にして長州と会津を対比させて描いたら面白そうなんだけどなー。
過激で行動的な長州と、真面目で実直な会津・・・

ああ・・・話がぜんぜん池田屋に辿りつかない・・・!
ドラマでは触れられませんでしたが、桂が京都留守居役に就任しました!留守居役はもう1人、乃美織江がいます。
長州人の入京は禁じられてますが、藩邸の役人はOKなので、これで堂々と滞京できます!やったね!

一方、新選組には解散の危機が!
攘夷や長州への処分をどうするのか決まらないまま将軍が離京すると知り、近藤は遂に老中に進退伺いを出します。
自分達は攘夷の為に上洛したのであって、市中見回りは本意ではない。このまま将軍がお帰りになるなら、解散を命じて欲しい・・・的な。
もちろん承諾されず、また幕臣取り立ての話が来て、近藤は悩みます。これが池田屋前の新選組の状況。
しかし、本意でない市中見回りも真面目にやってて偉いなー。長州的には、やらなくていんですがw
この時解散してたら、池田屋事件~土方戦死までの悲劇は起きずに済んだのに・・・。それを言っても詮無いですね。

さっきから何度も出てきてるように、この時期長州には異国船来襲の危険もあり、他の藩にも出兵の要請をしています。
イギリスでも長州の攘夷活動が報じられ、伊藤と井上は異国との戦争を止めるため急遽帰国します。
密留学した者は、死罪になっても文句言えません。命懸けの帰国です。・・・まあ、詳しくはまたの機会に。



ふひー、やっと池田屋だよ!さっそく前回挙げたチェック項目を確認してみましょう。


・古高の素性はどこまで掘り下げられるか
 まったく説明なし\(^o^)/
 その正体は山科毘沙門堂跡・慈性法親王の非常勤家来で、毛利家の遠縁

・京都放火・天皇奪取計画は無かった設定で行くのか
 ちゃんとデマになってましたが、新選組は触れ込んでないぞ!

・桂は池田屋にいるのか、いないのか
 いた

・宮部の最期
 直前映像とナレーションだけ・・・
 そもそも、宮部自刃の確たる史料はあるんだろうか・・・

・稔麿の最期
 ちゃんと池田屋に戻る途中で討死
 実際は藩邸から池田屋に行く途中、藩邸付近で討死

・長州藩邸の状況は描かれるか
 事件前にちらっと出ただけ・・・
 実際は敵兵に囲まれて一触即発。翌朝は見舞いの来客あり


池田屋に志士が集まっていたのは中川宮襲撃を話し合うためではありません。古高奪還の話し合いのためです。(ただ、それとは関係なく会合は予定されていたという説もあり)
ってか、古高が捕まったのは朝ですが、一体ドラマでは何時から会合やってたんだ??
松陰の東北視察とか「吾をも・・・」の歌とか、ちゃんとリアルタイムで出しとけよ!今出されても何の感慨も無いよ!え?OPでいつも流してるって?

つーか、長州大河なんだし、古高はもっとちゃんと出して欲しかった。その方が捕縛された時の危機感が増すというもの。
山科毘沙門堂跡に仕える古高は、公家への重要なパイプ役でした。
捕らわれた古高の自供記録によると、中川宮襲撃計画はあったものの、中止になったらしい。
尊攘派浪士が目論んでいたようですが、長州藩も関わっていたかは謎。
長州は尊攘派浪士の行動を黙認してるところもありますが、一枚岩ではない。

京都放火・天皇奪取計画がデマとして書かれてたのは良かったんですが、おいおい、新選組は触れ回ってねーよ!何どさくさに紛れて新選組をショボい悪役にしてんだよ!
幕府側のでっち上げだという説もありますが、少なくとも池田屋事件発生の時点では古高捕縛・武器発見でデマを鵜呑みにしてしまったんじゃないかなーと思うんですが、はてさて。


さて、我らが吉田稔麿君ですが、いつもドラマだと池田屋で斬られるものの、今回はちゃんと外で斬られてました!
稔麿の遺体は翌朝藩邸付近で発見され藩邸に収容されてるので、死亡場所ははっきりしてるんですが、問題は事件発生時にどこにいたかです。
池田屋で事件に遭い、藩邸に知らせに行った後、槍を持って再び出て行った説と、
事件発生前に藩邸に戻り、知らせを受けて槍を持って出て行った説があります。
あ、ちなみに藩邸に逃げたら門が閉まっていて自刃した説や、沖田に斬られた説は諸史料の記録と異なるので論外。

この日朝から稔麿は旅支度をしていて、夕方にはそれを池田屋に届けてもらっているので、桂が後年記した「池田屋に行ったらまだ誰もいなかった」ってのは怪しい。
稔麿も桂も会合に参加していて、稔麿が先に藩邸に帰り、事件の知らせを受けて桂を助けに行った・・・とかならしっくり来るんですが、まぁ、推測の域を出ませんね。
あと、事件当時の藩邸のピリピリ感を描いて欲しかったな・・・。敵兵に囲まれ、留守居役の乃美はもし攻撃されたら屋敷を枕に討ち死にする覚悟だったらしい。

ちなみに稔麿は江戸に藩主の嘆願書を届けるはずでしたが、滞京中の老中に渡せたのでずっと京に留まっていました。
そして行先は不明ですが、池田屋事件当日は旅支度をしていた・・・。あぁ、出発がもう1、2日早ければ・・・・・・。それを言ってもしょうがないのですが・・・
あと、稔麿は割拠派ですよ。本人曰く「猛虎の深山によるの勢をなし、徒然動くべからず」だそうです。

ところで、前から言ってるように、このドラマでは全っっ然稔麿の史実の行動が描かれてません!ぶっちゃけオリキャラで事足ります!
旗本潜入も屠勇隊建白も幕府・長州間の交渉役も無しに、何のための吉田稔麿であろうか・・・!
そういうのを描かないから、最期も友がどーのとか松陰先生がどーのとか薄っぺらいものになるんだ!
紀行で取り上げられたのは非常に嬉しいですが、もっとつっこんで欲しかったな・・・
稔麿ファンとしてはこれが稔麿だと思われると大変困るので、興味のある人は是非是非本を読んでみて下さいね!
今入手しやすいのは、『吉田稔麿 松陰の志を継いだ男』、『池田屋事変始末記 吉田稔麿の最期』、『松陰先生と吉田稔麿 増補版』・・・辺りでしょうか。


えーと、主役の文さんですが、久米次郎(7歳)が山口の久坂に会いに行ったのは史実ですが、文は行ってません!
現代感覚だと、「息子は行ったのに妻は行かないの!?」と思いますが、当時としてはどうなんでしょう?
久坂は久米次郎を可愛がる様子を文に手紙で書いてますが、自分は死ぬものと思ってる感じが伝わってきて何とも言えない気持ちになります・・・
それにしてもドラマのイチャコラシーンがホント無駄・・・。それなら上で長々語った政局を描いてよ・・・
杉家からの手紙とか何だよあれ・・・亀さん、アンタはマトモだと思ってたのに、立て付けがどうのとかどうでもいいよ・・・!

池田屋事件より前に進発が決まったのは史実通り。前日の事でした。
「回天実記」によると、事件後の12日に進発はしばらく見合わせるよう藩主から使者が来て、来島は承知したが久坂・入江は反対したとか。
この辺の、進発か否かコロコロ変わるのがよく分からんのですが、とにかく16日には久坂らは京に向け出発してしまいます・・・


次回から2週連続禁門の変!予告動画は良さげですが、あまり期待しないようにしましょう・・・
つーか、煽るわりにそこに至るまでの過程がちゃんと描かれてないから、イマイチ盛り上がらないんだよなぁ・・・・・・
気付けばもう25話。全50話くらいなので、もう折り返し地点でしょうか。あと半分、視聴&感想頑張ろー!

池田屋事件という事でハッスルしすぎた・・・疲れた・・・。次回はもっとアッサリ書けるといいなw



以下、らくがき。


並べると似てない2人・・・。キャラデザ当時は兄弟だって知らなかったんだよ!(笑)


分かりにくいですが、高杉・久坂・井上・伊藤・稔麿・桂。







※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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