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■副題:「泣かない女」
■年代:1864年8月  文=22歳 伊之助=36歳 高杉=26歳
■登場艦船:英仏蘭米連合艦隊、ユーリアラス号(イギリス)



いよいよ始まりました、恐怖の奥御殿編。
うーん、まったくのフィクションならまだマシだったと思いますが、
文の史実を歪めてまで、面白い長州史を無視してまで、毛利家奥御殿を「大奥」と偽称してまでやる事なのだろうか?
普通の長州史ならメインのはずの下関戦争はほぼアバンで終了!講和談判もナレーションで終了!
これが受信料を払っている長州ファンに対する仕打ちなのかッ・・・!orz


とりあえず、文句を言ってスッキリしてから、レッツエン攘夷下関戦争の話をしましょうか・・・




大事な事なのでもう一度言いますが、文が奥に入ったのは史実では1年以上後の藩内訌戦終了後です。
最初から銀姫付きの御女中です。「美和」という名はドラマでは何故か伊之助が付けてましたが、実際の由来は不明。
文さん、お願いですから名前と一緒に主人公の座も捨てて下さい・・・
あ、そういや文が奥御殿に入っちゃうと、寿&文が野山獄を訪ねる逸話はやらないのかな?

今回も脚本にツッコミどころが多すぎる・・・
素性隠して入ったのかよ!バレるだろ!つーかどんだけ久坂は悪者にされてるんだよ!
なんで文に着物届けさせるんだよ!男だと危ないって、女の方が危ないだろ!見張り付けるくらいならそもそも奥に入れるなよ!
あと、銀姫のキャラがムカつくんですがw
奥の話とか今やらなくていいだろー!男たちのドラマが見たい見たい見たいー!(荒木村重風ジタバタ)

ちなみに、歴史に詳しい人なら「大名の妻子って江戸にいるんじゃないの?」とお思いでしょうが、2年前の1862年に妻子の帰国が許され、参勤交代も緩和されています。
国許に帰りたがらない奥の女性たちを説得するのは大変だったらしい・・・。
しかし、長州征伐で調子に乗る幕府はこの年(1864年)9月に制度を復活させてしまう。ダメ・・・!慢心はダメ・・・!

そういえば、なんでこのドラマは人物の信念を語る時にフワッとした抽象的な表現をするんでしょうね。
ココロザシ、逝けSHINE、タケダケシク、ダンナサマガミヨウトシタセカイ、ジブンノミチ 云々・・・
ちゃんと政治思想をはっきり描かないと、何考えてるのか分からないよ。それが登場人物に感情移入できない理由の1つなんだよな・・・

良かったところも挙げときましょうか。
劇団伊藤がナイスパシリキャラで良かったw留学シーンも見たかった・・・!
桂のトラップ小屋が笑えたwってか、幾松じゃないくて辰路が来るのかよ!まだ身重かよ!計算合わなく(以下略)
江戸城の空撮CGかっこよかったですね。ああいう再現CGもっと見たい!



よし!吐き出したところでいよいよ下関戦争ですよ!
ここでは古川薫・著「幕末長州藩の攘夷戦争」を主に参考にしながら、状況を見てみましょう!

英仏蘭米連合艦隊(もうこの字面がヤバい)は7月27・28日に横浜を発ち、8月2・3日に姫島沖に集結、翌日、三縦陣で関門海峡に侵入した。
前年の攘夷戦で被害を蒙ったのはアメリカ・フランス・オランダ。なんでイギリスがしゃしゃり出てきてるのかというと、関門海峡が封鎖された事で長崎での貿易に多大な損害が出ていたから。


そんな四国連合艦隊のメンバーを紹介しちゃうよ!()は年齢じゃなくて砲数だよ!艦名は一部宮本の呼びやすいものに改めてます。

<イギリス>
ユーリアラス (35) ☆旗艦
ターター (21)
バロッサ (21) ※伊藤&井上が6月に帰国する際、横浜から乗せてもらった
コンカラー (48)
レオパード (18)
アーガス (6)
コケット (14)
バウンサー (2)
パーシューズ(17)

<フランス>
セミラミス (35) ※前年6月5日に報復攻撃
デュプレクス (10)
タンクレード (4) ※前年6月5日に報復攻撃

<オランダ>
メトレン・クルイス (16)
ジャムビ (16)
アムステルダム (8)
メデューサ (16) ※前年5月26日に長州藩が砲撃

<アメリカ>
ターキアン (4) ※商船。後の幕府軍艦「太江丸」


ドラマでも言っていた通り、砲の総数は291門!兵員総数は5000人以上!!
対する長州は、出撃軍艦無し!海岸の砲数は約120門!兵数は2000人足らず!!

艦これ風に表すとこんな感じ。積んだ・・・!\(^o^)/




攻撃計画を認めないイギリス本国の訓令も、異国船の海峡通航を認める長州藩の文書も間に合わず、遂に8月5日、攻撃が開始される・・・!!
長州は海岸の砲台から敵艦に被害を与えるも、その日の内に敵の上陸を許してしまう。住民は前日に避難している。
翌6日には、2600人もの敵兵が前田海岸に上陸!1000人足らずの長州兵と死闘を繰り広げる!嗚呼!映像で見たかった!

この時、長州兵は弓矢も使用していましたが、侮るなかれ、その矢というのが鏃がゆるく付けてあって、抜こうとすると鏃が体内に残ってしまう鬼畜仕様だったりする・・・
ちなみに、「奇兵隊日記」はこの頃のページが何故か「欠帖」になっている。奇兵隊の謎の1つである・・・・・


そんなこんなで、8日には伊藤らが敵艦に和議を申し入れ、戦闘終了。
被害状況は長州側が死亡18人・負傷29人、外国側は死亡12人・負傷50人と、意外に外国側の方が多い。
そしてかなりの数の大砲が連合艦隊に持ち去られてしまう。

8日の内に第1回講和談判が行われ、高杉は家老・宍戸備前の養子・宍戸刑馬となり登場。伊藤&井上は通訳。
ドラマでは文が下関に来た頃にはもう第1回目は終わってましたが、実際は最初から直垂&烏帽子ですよ。
サトウの「高杉は魔王の様だった」という記述は「だんだんと態度が和らぎ、提案を飲んでいった」と続くのですが、キャッチーな一文だけ取り上げられて前後は無視ってのは良くある話ですね・・・。
情報は正確に伝えて欲しいものです・・・
10日の第2回談判は高杉・伊藤は身の危険を感じ欠席。
ドラマで描かれてた様に、藩内に講和反対派が大勢いた。野村・品川・伊之助の当時の政治思想は、調べてないからよく分からん(笑)
14日の第3回談判には再び高杉・伊藤も出席。伊藤が後に語った有名な逸話ですが、彦島の租借を求めるイギリスに対し、高杉が古事記を語り出して煙に巻いたという・・・。

こうして下関は事実上開港した。幕府の許可?取ってませんけど?賠償金?攘夷は幕府の命令でやった事なんで、幕府に言ってもらえますか?
あぁ、なんと面の皮の厚い・・・!(笑)まぁ、幕府に請求された賠償金は、支払い途中で明治になってしまったため、半分以上明治政府が払うのですがw



そんな下関戦争は、CGはかっこよかったですが、あっという間に終わってしまい残念!
もっと大艦隊っぷりを!手に汗握る陸戦を!
これが受信料を払っている長州ファンに対する仕打ちなのかッ・・・!(2回目)

同時代の「八重の桜」を見ましたが、禁門の変も下関戦争もあっちの方がマトモってどういう事だよ・・・!
そういえば、OPにハウステンボスの名前がありましたが、黄色い線が入っていた蒸気船は復元された観光丸かな??

ちなみに伊之助は戦争真っ最中の8月6日に長崎を発ち、10日に長州に帰ってきます。
その後は「塩間鉄蔵」の変名で宇和島へ向かいますが、長くなってしまったので、詳しくは次回。



以下、らくがき。









※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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