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■副題:「妻と奇兵隊」
■年代:1863年6月 文=21歳 伊之助=35歳 久坂=24歳
■登場艦船:壬戌丸・庚申丸(長州)(台詞のみ)
もうお願いだから文さん出てこないでくれ・・・!(主人公だってば)
本当は史実はもっとごちゃごちゃしてて面白いんだ・・・!
と、いう訳で、今週も史実紹介&感想いってみよー。
■年代:1863年6月 文=21歳 伊之助=35歳 久坂=24歳
■登場艦船:壬戌丸・庚申丸(長州)(台詞のみ)
もうお願いだから文さん出てこないでくれ・・・!(主人公だってば)
本当は史実はもっとごちゃごちゃしてて面白いんだ・・・!
と、いう訳で、今週も史実紹介&感想いってみよー。
アメリカ・フランス・オランダの船を砲撃し、長州は攘夷熱に沸き立っていた。
5月27日、久坂は報告のため京へと旅立った。
29日には若殿が各砲台を巡視し、白石正一郎宅で軍議が開かれた。
そこで砲術家の中島名左衛門が軍備の未熟さを指摘したが、その夜、何者かに暗殺されてしまった。
攘夷の狂気の波に、正論は空しく押し流されていった・・・
6月1日には、長州の攘夷行動に対し、朝廷から褒勅も下された。
ところが同日、事態は急展開を見せる。
アメリカ軍艦・ワイオミング号の攻撃により、長州軍艦は2隻が沈没、1隻が大破させられ、長州海軍はほぼ壊滅状態となった。
5日には、さらに追い打ちをかけるようにフランス軍艦2隻が来襲、前田に上陸し、村を焼き払い、砲台を破壊して去っていった。
「異国と戦う」という事の現実が、硝煙の臭いと共に兵士たちの脳裏に焼き付いた。
この事態に際し、隠棲していた高杉が藩主に呼び出され、奇兵隊創設を建言し、認められた。
一方その頃、稔麿は親兵に選ばれ京に上っており、淀を探索していた。
京に留められたままの将軍を連れ帰すため、老中・小笠原長行が兵を率い、淀にいたのだ。
13日、ようやく将軍は大坂を発ち、江戸に帰る事ができた。
同じ日、京都にいた桂は、同じく滞京中の伊之助に、山口へ帰って周布に情況報告をして欲しいと手紙で依頼した。
久坂は一時山口に戻っていたが、再び京へ上っていった。
入れ替わるように伊之助や稔麿が帰ってきて、それぞれ重要な任務に勤めた。
7月6日、朝廷からの勅使が山口に入り、伊之助は出迎えや接待を担当した。
稔麿は5日に士雇に取り立てられ、7日には「屠勇取立方」に任命された。
かねてより藩に被差別民を兵士として取り立てる建言をしていたのが認められての事だった。10日には「屠勇取立令」が発せられた。
京では長州と攘夷派公家により、天皇の大和行幸の計画が進められていた。
天皇が神の前で攘夷成功を祈願し、いよいよ天皇の元に日本が一丸となって攘夷を実行する・・・・・・
その実現はもう目の前に迫っていた。
様々な犠牲を払ったものの、時勢は長州の望む通りに流れているように見えた。
・・・そう、あの8月18日の朝を迎えるまでは・・・・・・
本編があまりにアレなので、にわか知識でざっくり史実版あらすじ書いてみました。(劇中は7月まで行ってるか不明ですが)
とはいっても、この文章の面白さと正確さは保証しません(笑)
こんな風に長州・幕府・朝廷で色々動きがあるんですが、今回ドラマでは長州しか出てきてねぇ・・・
あと、せっかくの攘夷戦なのに、出てきた船は前回のキャンシャン号だけかよ!軍艦見たい!長州軍艦見たい!大砲ドンドコ撃ちまくる海戦が見たい!!
・・・っていうか、今回の描き方だとアメリカとフランスの報復攻撃が一緒くたにされてません?
実際は対アメリカ艦戦で軍艦を沈没させられ、4日後の対フランス艦戦で敵兵に上陸されてます。詳しくは前回の感想にて。
そして久坂は京にいたので、それらの戦いには参加していません。なんでドラマではみんな久坂のせいになってんだよw久坂に何か恨みでも!?(笑)
あ、あれか、高杉をヨイショするためなのか!?
ところでドラマでは触れてませんが、長州は攘夷を行わなかった対岸の九州・小倉藩に対して文句を付けてます。
ついには奇兵隊が勝手に小倉藩の田ノ浦を占拠してしまいます。うぜえ・・・
小倉はお向かいが長州なばっかりに、この後も色々大迷惑を蒙って本当に気の毒だ・・・
そんな長州の勝手な振る舞いに対し、幕府が軍艦・朝陽丸で詰問にやってきて色々事件が起こるんですが・・・
ドラマではスルーされそうなニオイがぷんぷんするぜ!
さて、7月にようやく武士の仲間入りをする稔麿ですが、実際にはここまで「栄太郎」という名前でした。
それが今回の昇進で改名するよう仰せつかります。既に「吉田栄太郎」という武士が存在したからです。
そこで、椿八幡宮の神主・青山上総介に「稔麿(年麻呂)」という名を付けてもらいます。
ちなみにこの神主は、後に靖国神社の初代宮司となります。
今回のメインは女台場。
このエピソードは面白いし画面映えもするし、取り上げるのは賛成なんですが、用法容量っていうのがあって・・・
男たちのムサい話の中でちょっとしたアクセントになるならいいんですが、メインでやるのは時間の無駄!
その分、時勢の解説とか戦闘シーンに時間使ってくれ!
カレーライスに福神漬け大盛りにしたら、もうそれはカレーじゃなくて福神漬け丼なんだよ!!
そして何でもかんでも文の功績にするな!主人公にムリヤリ見せ場作っても視聴者を不快にするだけだという事になぜ気付かない・・・!
事ある毎に(まだ2回目だけど)文を「女幹事」と呼ぶのも耳障り。その言葉、明治になってからの楫取の手紙に1回出てくるだけですよね?
さて、その女台場、正式には菊ヶ浜土塁は実際はどんなモンだったかというと、
6月9日に築造が命じられ、25日から工事開始。老若男女様々な人が従事し、その数1日に1万数千人(!!)
藩は士気を高めるため、工事の際は絹の着物の着用を認めますが、どんどん派手になっていったため、
7月29日に絹の着物を新調する事を禁じます。派手な物も着用禁止、呉服屋には、上方から絹を仕入れるのを禁じます。
見物人も大勢押し寄せ、立ち入りが禁止され、通行人もできるだけ早く通過するよう藩令が出たそうな。
9月上旬には高さ5メートル、長さ100~300メートルの土塁が6ヵ所に完成!
・・・ただし、萩は戦場にならなかったので、役に立つ事は無かったのですが・・・
何にせよ、こうやって藩を上げて国事に当たるのは、長州の面白いところの1つですね。
この台場工事に対して、稔麿と高杉の意見が分かれているのが面白いです。
さて、もう1つのメイン・奇兵隊については語る時間が無いのでこの辺で。
奇兵隊の最後についてはスルーされがちですが、楫取もいるし、やる・・・よね・・・?
しかし、そういう予想を華麗に裏切っていくのがこのドラマだからなぁ・・・・・・
そういえば、松陰の言葉「死して不朽の見込みあらば・・・」は松陰存命中にやれよ!演出どうなってんだよ!
※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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