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■副題:「女たち、手を組む」
■年代:1862年1月~7月  文=20歳 伊之助=34歳 久坂=23歳



さて、塾生殉難者第1号が出ましたが、ダメだ・・・訳分からんまま死んだ・・・
この調子じゃあ、あとの面々もきっと訳分からんまま死んでしまうんだ・・・

サブタイトルから覚悟はしていましたが、ここまでつまらないとは思わなかった。
もう何の為の幕末長州設定なのか分からないよ・・・・・・


さて、ドラマへの愚痴もこぼしつつ、楽しい史実の話をしましょうか。




一千の兵を率いて上京し、公武合体による幕政改革を進めようとする島津久光
「航海遠略策」により、島津とは違う方法で公武合体を進めようとする長井ら長州保守派
違勅通商条約を撤回し、外国と対等な関係での国交を主張する久坂ら長州急進派
久光上京を契機に、長州急進派と共に幕府を討とうと目論む尊攘派浪士たち
和宮降嫁に成功し、朝廷の後ろ盾で権威回復を狙う徳川幕府・・・・・・

それぞれの思惑が交錯し、京都の政局は風雲急を告げる・・・・・・!!



・・・・・・はずなのに、何が組紐だ!何が蒲鉾だ!!
それ今、必要ですか?政治情勢の説明すっとばしてやる必要がありますか?
貴重な時間と受信料を使って描くべき事ですか??

もう嫌だ・・・普通に史実通りに描くだけで十分面白いのに、なぜわざわざ手間をかけてつまらない創作を入れるのか・・・
あ、上の煽り文句(以前にこのブログ自体)は素人知識なので鵜呑みにしないでね(笑)


今回の史実年表はこんな感じ。
ドラマに描かれなかった事は()書きです。


1月◆高杉、上海留学のため江戸から海路長崎へ
    坂本龍馬が萩の久坂を訪ねる
    (坂下門外の変)

(2月◆徳川家茂と皇女和宮結婚)

4月◆久坂ら、入京(3月・兵庫行きの辞令)
    松浦亀太郎、自刃
    (島津久光入京、寺田屋事件)
    (高杉、長崎より出航)

6月◆伊之助、藩主に従い江戸から京へ
    (稔麿、旗本の元を辞し、野村靖と京へ)

7月◆久坂ら、長井雅楽暗殺未遂で謹慎処分
    (藩是が「破約攘夷」に転換)
    (高杉、上海から長崎に帰国)

8月◆久坂、「廻瀾条議」を上書


高杉・伊藤・伊之助が萩にいましたが、実際はみんな江戸にいます。
というか、高杉が幕府艦「千歳丸(せんざいまる)」で上海視察に出航したのは龍馬が萩に来る前の話です。
ただし、長崎で3ヵ月以上足止めを食らいますが・・・
あと、今頃嫁を塾生に紹介してますが、結婚したの2年前っすよ!(笑)
ちなみに、久坂たちが京都に行けたのは藩命により兵庫警備(※長州藩が担当していた)の名目があったからです。

お雅がタカビー(死語)キャラなのは面白いかなと思いましたが、あまり武家の妻っぽくなくて残念。
嫌な小娘だと思ったら、武家の妻としての覚悟はちゃんとしてる!ってのをもっとちゃんと描いて欲しかった。

滝が旦那の本を勝手に売ってましたが、ありえないだろ!
一度手放した本を再び手に入れるのがどれだけ難しいか分かってるのか!
しかも江戸時代の本なんて今よりずっと貴重だぞ!
杉家は学問好きの家なんだし、もっとちゃんと描いてくれよ・・・


さて、今回注目する人物は何と言っても松浦亀太郎(松洞)。
えー、重大な発表があります。・・・彼は魚屋ではありません!!
いや、実家は魚屋ですが、長州藩士の根来家の家臣になっています。陪臣というヤツですね。
絵に関しても、京都でちゃんとした画家に師事しています。

松洞は松下村塾の初期からの塾生でした。字(あざな)を「無窮」といい、吉田稔麿の「無逸」、増野徳民の「無咎」と共に「三無生」と呼ばれました。
長井雅楽暗殺を計画しますが、果たせずに京都粟田山で自刃。
あまり詳しい資料が無いのですが、少なくともドラマの様に包丁で長井に斬りかかって失敗して包丁で切腹とかありえん!創作にしてもヒドすぎる。


三無生の内、松洞は自刃、徳民は志士活動の途中で取り締まりに遭い、故郷に強制送還。(※医者の息子だった)
・・・で、稔麿は一体何をしていたのか。

この頃の活動は稔麿の生涯でかなり重要な所です。
前回触れたとおり、彼は変名を使って旗本に仕えていました。

2年前、稔麿は兵庫警備の仕事に就いていました。
しかし、突如脱藩。中国地方を調査した後、江戸に入ります。
その後、旗本用人・柴田東五郎のツテで、「松里久輔」と名乗り旗本・妻木田宮に仕えます。
・・・ずばり、工作員として幕府側に潜入したのでした。
これは桂や久坂たちのバックアップもあっての事らしい。

妻木家で稔麿はたいそう気に入られ、「勇(いさみ)」という名前までもらいます。
江戸城に行ったり、妻木の給地に名代として赴いたりと、本来の身分ではありえない仕事を色々こなします。
やがては武士の株を買って幕臣になろうとも考えます。

そんな事とは露知らず、実家では妹が健気に傘張りを・・・とドラマではなってましたが、稔麿はフツーに手紙で妻木家での精勤ぶりを伝えています。
ただ、手紙を読む限りでは工作員としての仕事は伝えてなさそうですが。

ここでもう1つ重大な発表があります。稔麿にはちゃんと父親がいて普通に働いています!!
なんでドラマでは完全スルーされてるんだw
松洞の魚屋設定もそうなんですが、不幸設定にするのやめてもらえませんか・・・。キャラ付けのためなのか?実在の人物の頑張りを何だと思っているのか・・・

話が逸れました。
その後、妻木に正体を明かした稔麿は長州の事情を説明し、妻木も協力しようとしますが、却ってそのために妻木は役を免ぜられてしまいます。
そんなトラブルがあったものの、政治情勢は好転したため、稔麿が工作活動を続ける必要もなくなり、妻木家を去ります。
妻木も隠居してしまいますが、2人の信頼関係は崩れることなく、長州と幕府の重要なパイプ役となるのでした・・・・・・

その後、稔麿は脱藩の罪を藩に謝罪しますが、何故か厳罰に処される事はありませんでした・・・・・・


さて、ドラマでは京都情勢をすっ飛ばしていきなり久坂が謹慎してましたが、次回触れられるのか?
ざっくり説明すると、

久光、攘夷派薩摩浪士を上意討ち(寺田屋事件)→攘夷派の討幕計画失敗。

久坂らの周旋で「航海遠略策」に「朝廷をバカにしてる部分がある!」とイチャモンがつけられ、長井失脚。→長州、藩の方針180度転換で「破約攘夷(通商条約を撤回しろ!)」に。

久坂ら、まだ長井暗殺を諦めない→失敗して自首、謹慎。

長州藩内部で「通商条約を受け入れて外国と国交を」という現実路線と、「通商条約を破棄して外国と対等な国交を」という理想路線が争った結果、後者が勝った訳ですが、
この翌年以降、その理想が「外国軍艦との交戦」という衝撃的すぎる現実に打ちのめされる事を、この頃はまだ誰も知らなかった・・・

そして、記録の上で文が久坂と共に過ごしたのも、この上京前が最後だった・・・・・・


次回はタイトルからいって松陰復権の話でしょうか。
保守派から革新派に政権が移り、いよいよスーパー長州タイムの始まりだぜえええええー!!

・・・いや、期待しても傷つくだけだというのは分かっているんです・・・・・・


ここで余談!

「JIN」の南方仁先生が文久2年の江戸にタイムスリップしたのは現代の6月らしいですが、仮にタイムスリップ先も西暦6月だとすると、旧暦では5月。
史実の伊之助はその時江戸滞在中で、藩主に従って京に向かうのが旧暦6月2日(年譜より)なので、ギリギリ同時期に江戸にいますね!
なんだか夢が広がるね!(大河では萩から京に行ってましたがw)
・・・まあ、実際は何月にタイムスリップしたのか分からないので、単なる寝言とお聞き流し下さいw



以下、らくがき。


そもそもなんでこの2人が話してるんだw


前に九一&稔麿描いたので対で。



※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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