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■副題:「花となるために」
■年代:1865年2月~3月? 文=23歳 伊之助=37歳 高杉=27歳
■登場艦船:癸亥丸(長州)
あぁ・・・美和のシーンが本当に退屈・・・
それは置いといて、元気に史実トーク行ってみよー!今回は第三次前橋巡礼レポもあるよ!
■年代:1865年2月~3月? 文=23歳 伊之助=37歳 高杉=27歳
■登場艦船:癸亥丸(長州)
あぁ・・・美和のシーンが本当に退屈・・・
それは置いといて、元気に史実トーク行ってみよー!今回は第三次前橋巡礼レポもあるよ!
ドラマの時系列が史実とかなり違うので、ちょっと年表に整理してみました。
前回感想と重複しますが、日付入り。
例によって、ドラマに出なかったものは()書き、にわか知識なので正確さは保証しません(笑)
◆1月
(16日・中立派の「鎮静会」が会合)
28日・諸隊(革新派)、軍艦癸亥丸(きがいまる)で萩へ空砲で威嚇 <第32回>
30日・椋梨ら保守派要人が罷免
◆2月
(1日・革新派と保守派が会談。翌日、革新派が藩主に謝罪文を出す)
7日・元徳と銀姫の子・興丸誕生
(8日・白石正一郎宅で薩摩・長州・土佐の志士が薩長和解に向け会合)
(9日・長州軍艦壬戌丸(じんじゅつまる)、上海でアメリカ商人に売却)
10日・鎮静会議員4人と高杉らが会談。
翌日、鎮静会議員4人が保守派藩士に襲われ、3人死亡 <第32回>
15日・諸隊、萩に進入。椋梨らは前日に逃亡。野山獄の伊之助らが釈放される
17日・椋梨ら、津和野藩で捕えられる
(21日・祖霊社で3日間の臨時大祭、藩主が毛利家祖先に祈る)
◆3月
(10日・赤根武人ら、京に上る)
11日・藩主、山口に移る
(15日・鎮静会を中心に「干城隊」結成)
23日・藩是「武備恭順」に決定
※高杉、イギリス留学を目指し長崎へ出発→3月頃?
伊之助、藩命で九州大宰府へ出発→5月14日
うーん、やっぱややこしいw
今回、最後は伊之助が大宰府に向かってたり、高杉が船に乗ったりしてたけど、何月の設定なんだ?
ちなみに、この頃新選組も大きな事件がありました。
2月23日には山南敬介が切腹。
3月10日頃に屯所が壬生から西本願寺に移っています。
この時期の新選組の目的は攘夷から長州問題に移っていて、近藤は後に長州に入国しようと目論みますが・・・
まぁ、詳しい話はまた今度。
ところで、ドラマでは父が病気で美和が家に帰るのなんのとやってましたが、
大丈夫です!史実では父が死ぬのは8月29日、美和が奥に上るのは9月20日です!問題ありません!
そんな創作はいらないから、赤根や幕府の動きをちゃんと描いてくれよ・・・
史実通りの内戦を2回に分けて描いてくれたらなぁ・・・。全部「紀行」でもイイんだぜ・・・
まさか赤根はこのままフェードアウトじゃなかろうな・・・
そういえば、亀さんが奥御殿の外にいるとなんか変な感じwあ、お宿下がりでございますか?
次回はかなり時間が飛んで薩長同盟。
西郷・龍馬以外の薩土志士は出てくるでしょうか。・・・期待しなければ・・・傷付く事は無い・・・・・・
話変わって、前橋で「花燃ゆ展」見てきました!
江戸東京博物館でやってたヤツの前橋展ですが、東京展では展示されていなかった史料も色々見られました!
楫取の時田少輔宛書簡、松陰の銅像、大砲の模型etc・・・
場所も東京展より狭いので、より近くで史料が見られた気がするw
最近発見された、縁側で晩年の美和が座っている写真があるんですが、隣に座っているのが希家(伊之助と寿の長男・篤太郎)と判明。大きな収穫でした。
何より、地元群馬で長州史料を見られたというのは、群馬出身の長州ファンとして嬉しい限りです!
大河ドラマ館も見ましたが、記憶によると展示入れ替えはわずかだった模様。平日だったせいか閑散としていた・・・
同じフロアで開催されていた「献上写真展」は、県内の古写真がてんこ盛りで良かった!タイムスリップしたい・・・
今回は特に描きたいものは無し。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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