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■副題:「姉妹の約束」
■年代:1877年10月~1881年1月  美和=39歳 楫取=53歳 寿=43歳



さて、「いい夫婦」の日。楫取素彦・寿夫妻ファンとしては見逃せない(悪い意味で)、寿退場回。
ええ!もちろん!今回も本編は不快なのでOPと紀行だけでOKです!


ひとまず、ドラマの事は忘れて史実版妄想あらすじで素彦・寿夫妻に想いを馳せましょう・・・




明治13年11月、楫取は年末で仕事が忙しくなる前に、東京へ寿の見舞いにやって来た。
3年前、東京に行く前は、自分で歩行がままならないほど悪化していた寿の病状だが、
東京で治療を受けてからは杖をついて歩けるようになり、一時は群馬に戻っていた。
しかし、この年の8月からは再び東京で療養していた。

楫取が、建設中の説教所の話をすると寿は嬉しそうに聞き、完成が楽しみだと上機嫌だった。
その様子を見た楫取は安心し、名残惜しく思いつつも、希家(篤太郎)・多賀子夫妻、道明(久米次郎)・美寿子夫妻や美和に後事を託して東京を後にした。
寿も病床から出て笑顔で楫取を見送った。

これが永遠の別れになろうとは、微塵も悟られないように――


年の瀬も押し迫った頃、寿の病状が急変した。
楫取に連絡して来てもらおうとした息子達だったが、寿は強くそれを拒んだ。

「今ここで旦那様をお呼び立てしたら、何のために平気な素振りをしてお見送りしたのか・・・!
私の生死は私事!旦那様のお勤めはご公務!私事のためにご公務を妨げてはなりません!」

寿の気迫に、その場にいた息子夫婦や美和は息を呑んだ。
息子の妻達は涙ぐみ、美和も気丈に振舞う姉を見て胸が押し潰されそうだった。

寿は一時危険な状態になり、知らせを受けた楫取も最悪の事態を覚悟したが、回復の知らせが届くと
ほっと胸を撫で下ろした。


年が明け、三が日も過ぎて正月気分も醒め始めた頃、楫取は萩にいる民治に、今後の久坂家の事を相談した。

当主である秀次郎は、美和の長姉・千代の娘と結婚させようという話があるので、そうしたら群馬で就職させてはどうか。
美和はこちらで引き受け、寿の看護人および楫取家の「女幹事」となってくれれば双方とも幸せであろうと・・・

が、秀次郎はそれを嫌がり、品川弥二郎の元へ転がり込んでしまった。


1月30日の朝、寿は、異様に落ち着いた様子でぽつりと言った。

「身支度を整えたいので、タライに水と・・・着替えを用意して頂けますか・・・」

寿は手を洗い口を漱ぎ、髪と衣服を整えると、支えられながらゆっくり布団の上に正座した。
そして布団を囲む親戚や知り合い一同にこれまでの礼を述べ、深々とお辞儀をした。
ゆっくりと上げられた寿の顔は、美和がこれまで見た事もないほど清らかに澄みきっていた。
寿は胸の前に手を合わせ、静かに目を閉じると、呟くように経を上げ始めた。

――その読経が消えゆくように終わった後、一同は、しばしの静寂に包まれた――


寿がこの世を去って3ヵ月経った。
桜も新緑に追われるように止めどもなく舞い散った。
楫取はそれを見ると、己の身が花弁のようにボロボロと崩れて行きそうな気がした。

かつて何度も死を覚悟した自分がこうして生き残り、糟糠の妻を先に逝かせてしまった・・・

東京から希家が持ってきた寿の遺品の中には、臨終の時着ていた着物も入っていた。
梅雨が来る前に洗ってしまわねばカビてしまうのだが、襟垢も残ったその着物を洗うのは楫取にとって堪えがたく、胸の詰まる思いで亡き妻の着物を抱きしめるのだった。


楫取の友人・大津唯雪は前の名を村田次郎三郎といい、かつては共に野山獄に投じられた同志だった。
今でも家族ぐるみで付き合いがあり、寿の賢妻ぶりをよく知っていた大津は、その死を共に悼んでくれた。

大津も楫取の県令という立場を気遣って後妻を持ってはどうかと勧めたが、楫取はとてもそんな気になれなかった。
寿の代わりが務まり、自分の気に入る女性はいるまい。
もしいるのなら格別だが、いないのなら自分も歳なので使用人で済ませよう・・・そう思っていた。

心ではそう思っていても、楫取も杉家の人間も頭では分かっていた。
誰が今後の楫取を支えるのか――
ただ、それが現実のものとなるには、まだもう少し、時間が必要だった・・・・・・


以上!

あぁ、私の拙い文章力で少しは伝わったでしょうか・・・!
なお、史料や逸話を元にした妄想なので鵜呑みにしないで下さい(笑)
逸話もどこまで本当か分からないし・・・。亡くなる時の「読経」も資料によってあったりなかったり・・・
この時期の美和の動きはさっぱり分からないので、バリバリ創作です。

寿はそれなりに有名だったらしく、訃報は新聞で報道されています。
墓は東京の青山墓地にあり、大きな墓石には楫取の書いた墓誌が刻まれています。

ドラマでは楫取に遺言状を遺していましたが、史実では息子2人の嫁・小田村多賀子と楫取美寿子に遺した遺言状があります。
内容は妻としての教訓や仏教の教えが長文で書いてあり、現代人にはちょっと難しいものなのですが、
寿の真面目さや信心深さが強く伝わってきて、やっぱり松陰の妹なんだなぁと感じられます。

寿の臨終の逸話や遺言書の全文は、明治25年に出版された『婦人の鏡』という本に掲載されていて、ネットでも近代デジタルライブラリーで読めます。
ありがとう国会図書館!・・・ただし旧字体はともかく変体仮名は調べないと読めん!(笑)

楫取夫妻最大の泣ける話、「遺品の着物が洗えない」は紀行で紹介されてましたね。・・・まあドラマではやらないんでしょうね。
紀行といえば、なぜこの回に臨江閣をフライング紹介したのか?メインは清光寺でいいのに。


さて、そんな史実をほとんど無視し、つまらないを通り越して別の次元に入っているドラマ本編の感想行ってみよー。

前回が明治10年10月、寿が亡くなったのは史実では明治14年1月。
ドラマ内では年月表記が無かったけど、時間経過はどうなってるんだ・・・
最後に美和が作ってた学び舎に「明治十四年」とあったので、3年ちょっと経ってるのは確実。
その間、史実で起こった出来事をいくつかピックアップしてみました。年表も作ろうかと思いましたが、
長すぎる・・・w




明治11年、わーい「るろ剣」の年だー、と言っている場合ではありません。
この年は明治天皇の北陸東海巡幸で群馬にも立ち寄られるのです!主な行程は以下の通り。

9月1日・楫取が熊谷行在所の天皇に伺候拝謁を賜る
9月2日・楫取が先駆し、新町着
9月3日・新町屑糸紡績所など御巡覧
9月4日・県庁、師範学校、座糸製糸場御巡覧、高崎着
9月5日・高崎営所御巡覧、観兵式・操練など天覧、松井田着
9月6日・碓氷峠、熊野神社へ、追分着

なんかこう、ワクワクしますね!これをドラマで見たかった!どばーんと派手に映像化して欲しかった!
群馬編になってから更にドラマの舞台が狭く感じる・・・。県庁か楫取宅か阿久沢商店か民家ばっか・・・
もっと県内の歴史的イベントや学校の様子を描くとか、寿が温泉で療養する話とかやってほしかった。
え?予算?美和の創作シーン削ればいいんじゃ(げふげふん)

楫取の献上写真が三の丸尚蔵館や県庁昭和庁舎で展示されましたが、あれはこの時に献上されたものです。
以前の記事でも描きましたが、『修身説約』の草稿もご覧になっています。
ちなみに、行幸には岩倉具視・大隈重信・品川弥二郎らが随行していました。


明治12年9月、秀次郎が久坂家の家督を継ぎ、長男だった道明(久米次郎)は翌13年2月に楫取家の後継ぎになります。
ドラマでは秀次郎は辰路に預けられて、もはや忘却の彼方ですが、実際は預けられてません。
道明は明治10年に長男が生まれていますが、翌年夭折。明治12年に次男が生まれています。
楫取の長男の希家(篤太郎)は小田村家を継いでいるものの子供が無く、後に養子と道明の娘が結婚しています。
美和はここまで久坂のまま。ややこしいですね・・・

それにしても、篤太郎の妻は出てきたのに、久米次郎の妻子が完全スルーなのは、美和に反発するキャラに邪魔だからか?
2人とも大人になった時点で改名して欲しかった・・・。つーか久米次郎、学生に見えるけど就職してたんかい。


明治13年1月、唯一の県立中学・群馬県中学校の開校式が行われ、楫取も大いなる期待を込めて祝辞を述べました。
が!翌月、生徒たちは教則改正を要求!楫取に面会を求めますが叶わず、学務委員に面会して建議書を提出します。
結果、首謀者数人が退学処分になり、残った学生も退校しストライキを始めます。
怒った楫取は生徒一同の解散を命じ、遂に4月に学校は解散、校長も辞職するハメに・・・。
8月に群馬県中学校は再び開設され、12月に前橋から離れた南勢多郡小暮に校舎新築が決定、明治15年4月に移転したとさ。

生徒達が具体的にどんな改正を要求したのか分からんのですが、時は自由民権運動の盛んな時代。
対する楫取は、県から学費を支給されている生徒達が勝手な事を言うのが許せなかったらしい。
詳細が不明なので、どっちが正しいのかは分かりませんが・・・。
この群馬県中学校は現在の県立前橋高校の前身です。
これ、「八重の桜」の熊本バンドみたいな感じでやったら面白かったかも??

民治の松下村塾再興は次回やるっぽいですね。


さて、見舞いに来た美和に寿が不満そうでしたが、え?ずっと群馬に置いとくつもりだったの?
寿に「妻の私に話せん事も美和には話せる」とか変な事言わせるんじゃねえよ・・・
どこまで実在の人物を愚弄すれば気が済むんだ・・・
生糸関係は資料が無いのでさっぱり分からないのですが、納期に間に合わなそうだからといって、美和が帰って何の役に立つんだ・・・?おにぎり配給・・・?

寿の最期はギリギリ座って亡くなってる感じでしたが、なんで楫取が看取るようにしたんだろう・・・
その展開はここで必要か?
史実の方が寿の個性が出ていて良いのに、その個性を潰して何故他の作品でもできそうな安直な展開にするんだろう・・・
まぁ、面白い史実を無視してつまらない創作を入れるのは今に始まった事ではありませんが・・・

そもそもこのドラマの寿は史実ネタがほとんど描かれず、せいぜいちょっと獄中の楫取に差し入れしたり、新井に短刀を渡したくらい。
楫取は美和とばかり会っていて、寿はほぼ美和のヨイショ要員・・・
寿だけでなくこのドラマ全体に言える事ですが、こんな史実と違う創作が公共放送で流布されるのは我慢ならん!
ヒストリアかどっかでちゃんと面白い史実を流してくれー!「紀行」じゃ足りねー!

ドラマでは楫取に寿の遺言状が遺されていましたが、
はいはい、おねーちゃんが「美和を妻に」って言ってくれてよかったですねー。(棒読み)
これで大手を振って「初恋の人」と再婚できますねー。(棒読み)

史実の寿が後妻の事をどう考えていたか不明ですが、当時の常識から考えれば、美和が後添えになる事も考えなくはなかったのでは?
現に兄の民治が妻の妹を後妻にしているし、楫取は久坂家の面倒も見ていたようですし。
そういう当然の事を「運命の相手」みたいな描き方するから気持ち悪いんだよなー・・・
朝ドラはちゃんと現実的に、妻が泣く泣く夫に妾を勧めていたのに・・・


えらく長くなってしまった・・・
寿も退場して、あとはほとんどオリキャラ状態の楫取と美和くらいしかメインキャラが残ってない・・・
政府の村塾生もほとんど出ないし・・・。嗚呼、不毛だ・・・・・・



以下、らくがき。







※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の年齢表記は原則として数え年です。
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