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■副題:「富岡製糸場の危機」
■年代:1881年2月~1882年4月頃? 美和=40歳 楫取=54歳
もう危機とかそういうレベルじゃねえよ!ダーウィンと映像の世紀の間は風呂入ってればいいよ!
・・・とりあえず今日も元気に史実トークいってみよー。
■年代:1881年2月~1882年4月頃? 美和=40歳 楫取=54歳
もう危機とかそういうレベルじゃねえよ!ダーウィンと映像の世紀の間は風呂入ってればいいよ!
・・・とりあえず今日も元気に史実トークいってみよー。
まず今回は年表から確認してみましょう。ドラマで描かれたものは太字。
【明治14(1881)年】
1月◆楫取、民治に秀次郎と美和の処遇について相談
寿、病没
2月◆楫取邸に泥棒が入り、使用人と共に捕縛
4月◆前橋に本願寺説教所完成
5月◆楫取、寿の着物を見て悲しむ手紙
寿の百箇日の小法会が前橋で行われる
楫取、東京-高崎間の鉄道を前橋まで延長する事を大隈重信に意見
8月◆道明の三男・四郎誕生
9月◆楫取、寿の墓誌を書く
11月◆楫取、多胡碑の覆屋建設を内務卿に上申
楫取、富岡製糸場の存続に関する意見書を農商務省に提出
12月◆有志出資による東京-高崎間の鉄道の前橋延長が許可される
この頃?美和、群馬に来る
【明治15(1882)年】
1月◆寿の一周忌の法事が東京で行われる
3月◆「娼妓廃絶の建議」可決
4月◆県内の娼妓を明治21年6月限りで廃止する布達
多胡碑の覆屋建設が許可され、費用が下付される
楫取と美和、赤城温泉へ
5月◆富岡製糸場の存続が許可される
・・・なんかもう、別の世界の話だよね!
うーむ、ドラマと史実の乖離が酷すぎて、何から話せばイイのか・・・
もちろん、美和が女性のための私塾を作ったなんてのは創作ですよ。
死ぬ間際になって急に寿と約束したり、杉家で滝と亀が「寿も村塾再興を望んでいた」的な事を突如語りだしたり、脚本が不自然すぎる・・・
それなら寿が二条窪や群馬で布教してた史実をちゃんと描けと。
そしてなんで富岡製糸場の女工トリオは、わざわざ前橋の私設の小さい塾に学びに来てるのか。
夏のクソ暑い中歩いて来たんですか?お疲れ様です。それにしては涼しい顔してますね。ハイヤーでも使ったのかな?
女児学校を作るというので、楫取が美和をわざわざ県庁に呼び出して意見を聞いていましたが、なんで美和がそこまで首つっこむんだよ!
明治14年はすでに女児学校あるから大丈夫だよ!
そしていつもは暇そうなのに、県庁でこれ見よがしに忙しそうにする楫取。もう何なんだよ・・・
楫取が美和に「女中雇うから、貴方は家を出て好きにしていいよ」宣言。
・・・なんで県令の家に使用人が1人もいないんだよ!
史実では寿の死の翌月に面白い話があって、楫取邸に入った泥棒を楫取と使用人で捕まえたらしい。
そして何を思ったのか、楫取は戯れに漢詩を詠みます。・・・意訳が載っている本が無いので、意味は良く分からないのですが;
誰か楫取の詩歌を解説・訳付きで本にまとめてくれー!(笑)
今回のイライラポイントは楫取と美和をくっつけようとする阿久沢夫妻です。あー、気持ち悪い。
前回書いた通り、寿が亡くなって美和が嫁ぐのは当時の常識では普通の事です。
亡くなった年の末頃には、美和は楫取の元にやってきて関係を構築していっています。
翌年4月には2人で温泉旅行もしています。結婚はその1年後。
しかし、民治の再婚に比べるとずいぶん時間かけてますね。
さて、今回のドラマのクライマックスは、サブタイトルにもなっている富岡製糸場の存続問題。
明治13年に官営工場の払い下げが決まったものの、富岡製糸場はデカすぎて引き受け手がいなかった。
翌年、「手立てを尽くしても請願人がいない時は閉場」との政府の決定が出る。
元所長で製糸会社を営む速水堅曹に5年間貸与し、その後民間に払い下げるという話も出るが、楫取は官営継続を望む意見書を出す。
結局、明治15年5月に速水への貸与が中止され、当分の間官営存続が決まった・・・という事らしい。
民間の今井・・・じゃなくて三井家に払い下げられるのは明治26年。
紀行にも登場したこの速水堅曹は、川越藩出身で製糸業に尽力した人ですが、この人の生涯もなかなか面白そう。余裕があれば調べてみたいなぁ。
ドラマの様に製糸場存続のため民間人が署名活動したという話は聞いた事ないっす。
その署名シーンで突如流れ出すメインテーマ!何故か挿入される花の映像!
え?何これ?ギャグか、ギャグなのか?それともスタッフももうヤケクソなのか!?
見てる方は盛り上るどころかドン引きです。
そういえばその関連で西郷従道が出ましたね。・・・しかし出ても出なくても良さそうな扱い・・・
何やら楫取ヨイショ台詞を吐いている・・・
ドラマの楫取はまったく感情移入できない妙ちくりんなキャラと化してますが、史実の楫取は、味のあるナイス地味真面目キャラなんですよ・・・(泣)
あと、秀次郎が成長して、さだ・・・じゃなくて「さのまさし」になっていた。
医者を目指していたという話は聞いた事ないです。それよりバイオリンやってギターやって落研に入ろう!(笑)
ドラマでは女児学校開校式が明治15年かの様に描かれていましたが、
実際は明治11年に設立され、明治13年に校舎が完成して開校式が行われています。
開校式で楫取が読んでいた祝辞は史実通り。
綺麗な言葉なので、『至誠の人 楫取素彦』(畑野孝雄・著)から意訳を引用してみましょう。(原文は漢文)
「女子に学問と裁縫が備わるのは、まさに花に香りと色があるのと同じである。
花の香りも色も無ければ、人はどうして花を愛するだろうか。」(以下引用略)
しかしドラマの楫取はオリキャラ化しているので、祝辞だけ史実通りにしても浮いている・・・
そしてなぜ開校式に乱入して製糸場存続を知らせるのか。
そもそもなぜ美和に真っ先に電報を見せるのか・・・
ところで、上記年表から、ドラマでスルーされた大きな出来事をピックアップしてみました。
何と言っても重要なのは、鉄道敷設と廃娼決議です。
明治13年に東京-高崎間の鉄道の前橋延長が許可されますが、西南戦争の余波で建設費用が出なくなり、そもそもの高崎までの鉄道敷設が中止。
そこで毛利元徳が頭取を務める第十五国立銀行が敷設を引き受ける事になった他、楫取と埼玉県令の白根多助(長州出身)が連名で、有志から募った資金による敷設を上申しました。
1年後に許可され、実際に鉄道が通ったのは楫取が群馬を去る明治17年。
しかし、白根はそれを見届ける事なく明治15年に病気で亡くなっています・・・
廃娼運動については、明治12年にそれに関する建議が提出され、色々話し合いの末、明治15年にやっと廃絶の建議が可決。
楫取はニコニコして「良い建議だ」と受理したそうな。
・・・が!明治21年6月限りで廃絶するはずが、楫取の後任の佐藤與三知事(長州出身)が廃止延期を決め、県会とモメた末罷免されてしまう。
結局、完全に廃止されたのは明治26年。日本で最初の「廃娼県」らしいですよ。
廃娼に関しては楫取の功績の1つに挙げられますが、日曜の夜8時にやる話題でもないし、特に面白い訳でもないので、ドラマでスルーするのはまぁ仕方ないですね。
パラレル群馬県も残すところあと2回!どんなトンデモ展開が繰り広げられるのか、気力を振り絞って観察しましょう。
ところで、「真田丸」の公式サイトがオープンしましたね!
・・・あぁ・・・キャッチフレーズが微妙すぎる・・・
1年前も言ったけど、「八重の桜」は変なキャッチフレーズだったけど内容はマトモだった!フタを開けてみるまでは分かりません!
まぁ、フタを開けたらとんでもないモノを見せられるケースも現在進行中ですが・・・・・・
以下、らくがき。
でもぶっちゃけ「前橋」って「隕石」と同じアクセントで発音するよね。
阿久沢のモデルが下村ではないかという説もありますが・・・
※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の年齢表記は原則として数え年です。
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