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■副題:「いざ、鹿鳴館へ」
■年代:1883年7月~1884年7月+美和晩年? 美和=42歳 楫取=56歳
みわさんは、おねえさんがなくなったあと、そのだんなさまと さいこんしました。
みわさんは、はつこいのひとの およめさんになりました。
そして、きれいなドレスをきて、ろくめいかんで だんなさまとダンスをおどりました。
さいごは、きしゃにのって、ぐんまをさっていきました。
めでたしめでたし。
・・・めでたいのはこのドラマの登場人物の頭の中だけじゃああああ!!
「花燃ゆ」全50話、無事完走しました!みなさんお疲れ様でした!本当にお疲れ様でした!!
つらい修行を乗り越えて手に入ったのは、忍耐力と、「花燃ゆ」の感想を述べる権利!!
という訳で叫びましょう! ひどい大河だった!!!
受信料を返せ!貴重な長州大河を返せ!視聴者と関係者に謝れ!
・・・いや、謝っても何も返ってこない・・・!
NHKはやればできる子のはずじゃないか!
「あさが来た」は丁寧に作られててめっちゃ面白いし、
「八重の桜」は歴史も描けてて戦闘シーンも迫力あった!
「平清盛」は変な所もあったけど、平安時代への愛が感じられた!
「坂の上の雲」の陸戦や海戦は本当にクオリティ高かった!
「龍馬伝」もツッコミどころ満載だけど、少なくともキャラは立っていた!
それがどうして今年はこうなったんだ!!
・・・とりあえず総括は後にして、最終回感想いってみよー。
■年代:1883年7月~1884年7月+美和晩年? 美和=42歳 楫取=56歳
みわさんは、おねえさんがなくなったあと、そのだんなさまと さいこんしました。
みわさんは、はつこいのひとの およめさんになりました。
そして、きれいなドレスをきて、ろくめいかんで だんなさまとダンスをおどりました。
さいごは、きしゃにのって、ぐんまをさっていきました。
めでたしめでたし。
・・・めでたいのはこのドラマの登場人物の頭の中だけじゃああああ!!
「花燃ゆ」全50話、無事完走しました!みなさんお疲れ様でした!本当にお疲れ様でした!!
つらい修行を乗り越えて手に入ったのは、忍耐力と、「花燃ゆ」の感想を述べる権利!!
という訳で叫びましょう! ひどい大河だった!!!
受信料を返せ!貴重な長州大河を返せ!視聴者と関係者に謝れ!
・・・いや、謝っても何も返ってこない・・・!
NHKはやればできる子のはずじゃないか!
「あさが来た」は丁寧に作られててめっちゃ面白いし、
「八重の桜」は歴史も描けてて戦闘シーンも迫力あった!
「平清盛」は変な所もあったけど、平安時代への愛が感じられた!
「坂の上の雲」の陸戦や海戦は本当にクオリティ高かった!
「龍馬伝」もツッコミどころ満載だけど、少なくともキャラは立っていた!
それがどうして今年はこうなったんだ!!
・・・とりあえず総括は後にして、最終回感想いってみよー。
最後も本編とほとんど一致しない史実年表から見てみましょう。
【明治16(1883)年】
8月◆美和の母・滝に羽二重が下賜される
9月◆道明(久米次郎)の娘・刀美子が誕生
11月◆鹿鳴館が開館
12月◆上野-新町間の鉄道が開業(県内初の鉄道)
【明治17(1884)年】
3月◆楫取、県令を辞任するも留任運動により任期延期
5月◆上野-高崎間の鉄道が開業
群馬事件
6月◆高崎駅で鉄道の開業式
7月◆楫取、県令を退任し元老院議官に
8月◆楫取、事務引き継ぎのため群馬を訪れる
建設中の臨江閣で送別会
上野-前橋間の鉄道が開業
ドラマでは鹿鳴館から帰ると夏になっていた・・・。再婚時期が史実に近く、鹿鳴館開館を早めたんでしょうか?
華族令が出されて伊藤が伯爵になったのが史実では7月7日、劇中の就学率1位の電報が7月15日なので、2人が鹿鳴館に行ったのは7月8~14日の間と思われます。
その鹿鳴館のシーンがこれまた不快・・・
招待状が見つからなくて入れない!→政府の要人たちと知り合いだから入れた!・・・って何ですか?
「俺は政府の重鎮の先輩なんだぜ」アピールっすか?伊藤が小物に描かれていてひどい・・・
楫取のアホキャラ化と不自然なヨイショはやめろと何度言えば・・・
それから、「無知で因循な華族の御婦人方を説き伏せる賢明で誠実な美和様」という下劣な展開。
他のキャラを下げて主人公を上げようとするのは本当に不愉快ですね。なんでこんな脚本にしたんだ・・・。
津田梅子まで美和ヨイショ要員に・・・。安子が大きなあくびをしているのも下品。
ところで、明治の上流階級の女性は「子」を付ける習慣があるので、ここでは「美和」より「美和子」と名乗った方がそれっぽいと思うんですが・・・。安子にアドバイスされるシーンを入れればドラマ内でも描けそう。
そんな、サブタイトルにもなっている鹿鳴館のシーンは開始十数分で終了。
ちなみに史実で楫取夫妻が鹿鳴館に行った記録は私は知りません。鉄道工事だってとっくに始まってるし・・・
何のために入れたんだこれ・・・・・・
ところで、ドラマ内では群馬が就学率1位になったと7月15日の電報で入ってましたが、
「楫取素彦伝」に記載の表によれば、楫取在任中に群馬が就学率1位になったのは、明治12~15年と17年。
とっくに1位になってます!ってか群馬すげぇな!その凄さがドラマからまったく伝わってこないのもある意味スゲェ!
ちなみにこの明治16年7月15日、史実の楫取は正五位に叙されています。うーむ、官位ってイマイチ偉さが分からんw
鉄道が東京から前橋まで通り・・・的な事を言ってましたが、完全に高崎が無視されている!
ってか、このドラマに「高崎」という言葉が1度でも出てきたっけ??紀行では出たが・・・
ドンマイ高崎!・・・いや、むしろ関わらない方が良かったかも知れん!
前橋は因循低俗などっかの町内みたいな扱いだし、沼田は「ドキドキお泊り」に利用されるし、碌な事が無い!
真田丸完全プッシュ体勢な沼田は来年どうなる!?
話を鉄道に戻しましょう。
明治17年5月1日に上野-高崎間の開業式が行われる予定でしたが、当時は自由民権運動が盛んであり、テロを警戒して延期されました。
ちなみに13日には自由党民と農民が蜂起した「群馬事件」が発生しています。
開業式は6月25日、高崎駅で明治天皇や政府高官が臨席して行われました。
あー、これ映像で見たかった!
前橋まで開通したのは楫取退任後の8月20日。この時は利根川に橋を架ける事ができず、今の石倉に駅があったそうです。
最後に楫取夫妻が乗車したのがどこの駅か、ドラマでは説明がありませんでしたが、史実では高崎駅ではないかと推察されています。
さて、よく分からない理由で楫取が県令辞任を言い出しましたが、史実では明治16年5月の民治宛て書簡で辞める話をしているので、再婚する頃、美和子も知っていたはず。
地方官の任期が12年なのが関係してるらしいが、詳しい事はよく分からん・・・
前回ちょっと書きましたが、楫取は明治5年に足柄県に赴任しているので、明治17年で12年なのです。
実際は留任運動が行われましたが、ドラマでは起きそうに見せかけてスルーしてましたね。
県令を退任するとすぐ元老院議官に栄転しています。
臨江閣での送別会は実際は、引き継ぎのため群馬に一時帰ってからの事で、美和子は同行してないっぽい??
阿久沢の送辞は実際の送辞の内容を若干採り入れてるかな?
ところで、臨江閣が俺の知ってる臨江閣じゃなーい!!なぜ現地ロケをしなかった!
・・・あ、いや、大事な臨江閣をこんなドラマに使わないでいいです・・・
臨江閣のパンフによれば、工期は本館が明治17年5~9月、楫取らが寄付した茶室が7~11月だそうで、送別会の時はまだ建設中です。
ドラマはアレでしたが、実際の臨江閣はレトロでイイ感じの和風建築ですよー。
それにしても、送別会で女たちが楫取夫妻にキャーキャー言ったり、せいが「2人で」を強調するのが気持ち悪い。
もう孫もいる熟年夫妻相手に何やってるんですか?
そして寿はほとんど忘れ去られている・・・。美和のセリフでチラっと出ただけで、回想にすら登場しない・・・
群馬で活動したのは美和より寿なんですが・・・。業績もドラマじゃまったく描かれなかったし・・・。
なんだよこれ・・・・・・
ところで、「風呂を沸かさないとねぇ~」の滝がなんか怖い・・・!これ絶対茹でられる・・・!
さて、「紀行」が本編より数倍濃厚だったのを見ての通り、楫取夫妻の活動はまだまだ続きます!
その後の楫取素彦関連
明治19(1886)年1月・高等法院陪席裁判官となる
明治20(1887)年5月・男爵を授かる
明治22(1889)年2月・帝国憲法発布式に参列
明治23(1890)年7月・貴族院議員に当選
同月・杉滝が死去
明治25(1892)年4月・楫取夫妻が賛助した鞠生幼稚園が創立
同月・「前群馬県令楫取君功徳碑」の建碑式
明治29(1896)年1月・道明(久米次郎)、台湾で殺害される(芝山厳事件)
明治30(1897)年10月・貞宮御養育主任となる
明治31(1898)年5月・宮中顧問官となる
明治36(1903)年2月・萩夫人会修繕女学校が開校
(杉民治が校長、美和は設立願書では副会長)
明治43(1910)年12月・民治が死去
大正1(1912)年8月・死去
大正10(1921)年9月・美和が死去
退任後の話もやれよ!帝国議会とか宮中関係とか見たいよ!!
「花燃ゆ」セカンドシーズンで1、2クールできるレベルだよ!
・・・まぁ、群馬に議会すら存在しなかったこのドラマに期待しても悲劇を増やすだけですね・・・。
やるならスタッフ・キャストを見直してイチから作り直さないと・・・・・・
退任後の話で重要なのは「芝山厳事件」と「貞宮御養育主任」でしょうか。
ドラマでさんざん取り上げた久米次郎ですが、その最期は完全スルー!ひでぇ!
明治28年、道明は日本領となっていた台湾に赴任し、「芝山厳学堂」にて日本語教師をしていましたが、翌年元日、他の教師5人と共に抗日ゲリラに殺されてしまいます・・・。享年38歳。
事件後は伊藤博文が揮毫した石碑が建てられ、招魂祭が行われました。
明治30年、楫取は「皇女御降誕御用掛」となり、明治天皇の第10皇女・貞宮多喜子内親王が御誕生されると御養育主任となり、楫取夫婦は青山離宮の御殿に移ります。
が、明治32年にわずか3歳で貞宮は薨去、楫取は喪主を務めます。
遺品を頂いた楫取は防府天満宮に奉納し、「貞宮遙拝所」を建立しました。
ってか、防府は楫取夫妻が住んで最期を迎えた地なのに、ドラマにはほとんど登場せず!幕末編にチラッと出たくらいか?
せっかく大河ドラマ館作ったのに・・・。ドンマイ、まじでドンマイ。
話変わって、明治編に入る時にピックアップしたアレをチェックしてみましょう。
記憶を元に書いています。見にくくてすいません・・・
【明治編気になるチェックポイント】
・県庁移転問題 →●本編スルー、紀行でちらっと言及
・富岡製糸場 →○
・新井領一郎に短刀渡すエピ →○敏三郎~美和~寿の短刀リレーが蛇足
・寿の布教はスルーされそう →●本編スルー、紀行で紹介
・廃娼運動もスルーされそう →●完全スルー、そもそも議会が存在しない
・寿の最期 →△楫取が看取る改変
・楫取が寿の着物洗いたくないエピ →●本編スルー、紀行で紹介
・前原の最期 →△投獄シーン後ナレーション処理
・小太郎の最期 →△遺髪と台詞で処理
・文之進の最期 →△台詞と回想で処理
・敏三郎の最期 →○美和が群馬から来る改変
・道明(久米次郎)の最期 →●完全スルー
・亀の死亡と民治(梅太郎)の再婚 →●完全スルー
・民治の長女・豊の結婚 →●完全スルー、豊も登場せず
・涙袖帖 →○美和が手紙を燃やそうとする改変
・留魂録 →○
・貞宮の養育係 →●本編スルー、紀行で紹介
・鞠生幼稚園 →●本編スルー、紀行で紹介
この中でスルーしても仕方ないのは廃娼運動くらいじゃないでしょうか。
幕末編の長井や赤根の最期といい、民治の再婚や久米次郎の最期など、わざとなのか知らんが、都合の悪い事はことごとくスルーですね・・・
そして明治編の登場人物はこんな感じ。
さてさて、改めまして全50回視聴、本当にお疲れ様でした!ここまで読んで下さりありがとうございます!
感想も無事全話書けてホッとしております。総評やその他トークはまた後で!
まだ恐怖の総集編があるのを忘れずに!(笑)
以下、らくがき。
※イラストの歴史人物は、宮本のオリジナルイメージを使用しており、役者とは関係ありません。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の年齢表記は原則として数え年です。
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