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■副題:「コレラと爆弾」
■年代:1858年5月~8月 文=16歳 松陰=29歳、久坂=19歳
■登場艦船:アメリカ艦隊(アバン解説)
「仁」の再放送がやってましたが、嗚呼・・・!なぜこれが大河でできないのか・・・!
いや、話の内容ではなく、人物の心情表現とか見せ方とか・・・・・・
まぁ、他のドラマの話は置いといて、今週も大河感想れっつごー。
■年代:1858年5月~8月 文=16歳 松陰=29歳、久坂=19歳
■登場艦船:アメリカ艦隊(アバン解説)
「仁」の再放送がやってましたが、嗚呼・・・!なぜこれが大河でできないのか・・・!
いや、話の内容ではなく、人物の心情表現とか見せ方とか・・・・・・
まぁ、他のドラマの話は置いといて、今週も大河感想れっつごー。
今回は宮村脚本だったので、ちょっと硬派な感じでしたね。
演出もいつもと違う感じで新鮮でした。
小田村家に次男・久米次郎誕生。後に楫取家を継ぐ道明です。
この子は久坂夫妻の養子になりますが、とある人物の出現により、実家に戻ります。
明治時代には台湾に渡るのですが、そこで不幸な事件に巻き込まれ・・・・・・
新キャラ・小野為八登場。
名前しか知らなかったのですが、調べてみるとなかなか面白い人物で、単発ドラマの主役にもできそうです。
歳は松陰より1つ上で、伊之助と同い年。
砲術家として数々の戦争で活躍しただけでなく、後に写真を撮ったりバターを作ったりと、先進的な人物です。
父親の山根文季は実際は眼科医らしい。コレラの治療にあたったかどうかは不明ですが、コレラで亡くなったのは本当です。
その文季の養子で、為八の従兄弟である山根孝中も村塾生で、会津戦争では敵味方問わず治療にあたったとか。
為八は実際に塾生らと「土原扇の芝」という所で地雷火の実験をしますが、自宅謹慎処分を食らってしまいます。
「足付かなけりゃOK」と松陰を連れ出すのは「ええええ!」って感じでしたが、実際に松陰を背負って行ったという逸話はあるらしい。
ただし、詳しい資料が手元に無いので出典や真偽は不明・・・
松陰が走るシーンは演出が印象的でしたが、人に見られたらヤバいからやめてー!(笑)
松陰が討幕を記した建白書「大義を議す」を書きましたが、内容的には幕府が天皇に従う事を勧めるもののようです。
実は伊之助も条約調印に反対する建白書を書いてますが、ドラマでも触れろよ!
松陰は彦根遷座の噂にかこつけて、塾生らを情報収集(飛耳長目)のため京に派遣するよう藩に進言し採用されますが、なぜか伊藤の発案になってましたw
彦根遷座というと、後に佐久間象山や山本覚馬が画策しますが、結構メジャーなネタなんだろうか?
ってか、文のシーン要らないから江戸・京・萩各地の志士の動きをちゃんと描いてよー。
コレラとかどーでもいいよー。ORZだかODAだか飲ませておけば大丈夫だよー。(ORS=経口補水液だってば)
いや、庶民的な夷狄の脅威としてコレラを描くのもいいんですが、経済問題も触れてくれるといいなー。
そういえば、久坂が藩に背いて京に行った事になってたけど、実際は御咎めを受けた様子はないし、どうなんだろ?
久坂は自ら望んでの自費遊学だったらしいですよ。
稔麿は家の借金返済のために江戸に来ているというのに、なんという経済格差・・・!
ところで松浦亀太郎も江戸遊学中だと思うんですが、見掛けませんね。(追記:再放送見たら村塾にいたw)
一方、高杉はいつの間に京にワープを!?(笑)
なんか色々起こったので、時系列に並べてみましょう。ドラマで触れなかった事も()で入れてます。
為八の入塾と地雷火実験の正確な時期はよく分からん・・・
5月◆前原一誠、村塾に戻る
小田村家次男・久米次郎誕生
6月◆日米修好通商条約調印
7月◆(入江九一、入塾)
松陰、「大義を議す」を著す
(松陰、藩から家学教授を認められ、塾が藩公認に)
高杉晋作、江戸遊学へ
飛耳長目(情報収集)の為、伊藤利助らが京に派遣される
8月◆山根文季、病死
さて、来週からいよいよ安政の大獄!
ああぁ・・・もっと政治情勢や松陰の思想をちゃんと描いて欲しかった・・・!
そういや将軍継嗣問題が軽視・・・じゃなくて全然出てきませんね。
戊午の密勅はさすがに触れるよね・・・?;
松陰再投獄まであと4ヵ月
松陰刑死まであと1年2ヵ月・・・・・・
そういえば、防府に楫取素彦・美和子夫妻の銅像が立ったそうですが、えぇぇぇ!寿子はー!?(TдT)
今回は特に絵は無しです。
※一部、歴史人物名や用語は、宮本が使い慣れたものを使用しています。
※文中の暦・年齢表記は原則として旧暦・数え年です。
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